「4.雑記」カテゴリーアーカイブ

少年の日の思い出

といってもクジャクヤママユの話ではない。子どものころ、よく連れて行ってもらった場所に今日は昼から行ってみた。畜産センター公園。

何せ二桁もいかないころの幼いころの話で記憶も曖昧だ。こんな感じだったっけと思いながら歩く。駐車場に車は複数止まっていたが、公園の中に入ると誰もいない。

ゴルフ場みたいだが公園である。

と思っていたら芝生広場の木陰に幼い子を連れた母親らしき方を見かけた。あとは工事か作業の人。ハイキングコースも回れば距離も出そうだったが、今日は止めておいたというか柵がしてあった。通行止。

最近人気のメタセコイアの並木だろうか。結構な太さだからメタセコイア並木がブレイク?する前から植えられていたのだろう。
道路を挟んだ向かい側。こんなところに薬科大の薬草園があるとは知らなかった。

ここでは結局、2000歩ほどにしかならなかったが、他の場所に移動して午前とあわせて1日合計1万歩は達成した。まあそうまでして歩きたいなら久しぶりに町内の公園に徒歩で出かけたらどうかと自分でも思ったが。今度そうしよう。春のときとは沿道の景色もだいぶん変わっているかもしれない。

再生、賢学塾

今日、久しぶりに外の掲示を出してみた。看板を変えてから、特に2階の上の看板を生かす意味で2階の正面の窓はおとなしくしていることが多かったから。

看板と言えば、前の電話番号がなくなって看板から電話番号を消して、それっきり外に向かっては電話番号を示すものがなかった。看板屋さんに看板の電話番号を消してもらったのは4月。それもあって新しい電話番号(ここに行き着くまでにも紆余曲折があって時間がかかったなあ)を掲出することにしたのだった。0584-92-5965、「地獄の向こう」とも読めるこの新しい電話番号を個人的には結構気に入っている。病という「地獄」の向こう側へ飛び越えて新しい世界を作るこれからのこの塾を、この私を見てくださいという前向きな感じがしていい。「急にご苦労、ここです」とも読める。あの日(2020.12.24)我が家に駆けつけてくれた救急隊員の方たちにかけたい言葉。あのとき初めて私は救急車というものに乗ったのだった。救急車→病院と全ての手際がよかった。私が今、こうしていられるのも関係する皆さんのおかげだと感謝している。「くじ、ご苦労、5等でした」とも読める。当たりくじを引くのは簡単なことではない。まあ5等が末等ではないかもしれないし。「ご苦労、子どもたち」とも読める。本当に彼らはよくやっている。番外編としては「邦子、黒子」とか「こくのあるロゴ」というのもある。いずれも意味が分からない。ちなみに5965はデジタルな書体だと上下逆にしても同じになるはず。

さっそく新電話番号の入った名刺も作った。便利な時代だ。すぐにできて届いた。これで前の電話番号のところをボールペンで線を引き訂正した格好の悪い名刺ともようやくお別れである。

古戦場跡とテスト対策と

学校で中1・2(現中2・3)が3学期の期末テストをやっていた頃はまだ病院の中だった。回復期リハビリ病棟で退院はまだかなと(現実を伴って)考えていた頃だ(自分の身体の現実を伴わない退院願望は1月中旬にあった。あの頃は急性期病室の環境に絶望して早く脱出したいと思ったのだ。その後、同じ急性期でもマシな病室環境に変わって気持ちが落ち着いたが)。3学期の(中1・2)「期末テスト対策」の時期というと回復期病棟内を必死に歩いていた頃だ。あんまり必死に病棟内を歩いているという報告が上がったせいか、担当医から特別な許可が出て病院の建物外に出て敷地内を少し歩いたりもした(コロナ禍のため入院患者を外に連れ出すことは御法度だったようだ。普段担当でない理学療法士が驚いていたが「ドクター指示」の一言で納得していた。コロナ禍前はそういう機会もあったそうだが)

本文とは全く関係が無いが、先日訪れた古戦場跡だ。小学生のときから何度も来ているから周辺の事情もよく分かる。が、「陣場野」と呼ばれるこの陣地跡もだいぶん雰囲気が変わった印象。コロナ禍が無ければもっと観光地として売り出せたのだろうか。
一番変わったと言えばこれだろう。この施設はまだできたばかりのはず。中には入っていない。またコロナ禍が収まったらゆっくり中も見よう。

外を歩くというその日がちょうど寒い日にあたって、暖かい病棟内(冬でも昼夜問わず24~25度はあったようだ)の生活に慣れていた私には少しの時間だが寒さが身に凍みた覚えがある。と同時に、担当医も語っていたが病棟内の平らな廊下とアスファルトや芝生が広がる外では歩く感覚もだいぶん違った覚えがある。その後の退院生活のためにもいい経験だった。退院してすぐはジョギングコースなどばかりを歩き、公道など凸凹道はなるべく避けていたかな。しばらくして公道を歩くようになり、今はまた、凸凹を避けているのではないが、公園中心の散歩だ。

関係ないシリーズでこれまた先日訪れた古戦場の決戦地の碑、高校の「日本史」で習う陸軍大将 宇垣一成が揮毫したことは以前から知っていたが(つまり建立が戦前)この日もまた見たのでパチリ。

そういうわけで、「テスト対策」というのが久しぶりだ。去年11月の2学期期末テスト対策以来となる。テスト対策をやると「ああ、塾の現場に戻ってきたんだな」と改めて実感する。今来ている子たちもよく頑張っているから、とてもやりがいがある。ありがたいことだ。この塾を開いて20年以上になるが、こういうことには恵まれ続けたといってよい。いい子たちだ。この春、高校にうかった子たちは、ありがたくも彼ら彼女ら自身が企画して集まってくれた。今思い出しても泣けてくる。高校でも定期考査の時期のようだ。元気にやっているだろうか。

これも関係が無いが敗軍の将の陣地。人気スポットでこの町が一望出来る。逆にこんないい場所に陣取って負けたのね…。

世間を見ると岐阜県の新型コロナウイルス感染者数が下げ止まりなのだろうか、以前なら多いと思われていた水準に「下がった」ところで止まっているようだ。秋には学校でもさまざまな行事が予定されている。夏には最後の部活の大会もある。それまでにはこのコロナ禍が収まっているといいが。

恵まれた人

脳幹出血の人の体験が書かれたネット記事を読む機会がある。脳幹出血で検索しても「脳出血」「脳内出血」という記事が出てくることも多いが、脳幹出血も脳出血・脳内出血なので当たらずとも遠からずという感じだ。だが、有名人に犠牲者が目立つ割には「脳幹出血」の体験記事は少ない。

今日の午後の散歩は隣の隣の市(ということになるのだろうか)にある県の公園に行ってきた。このご時世、人混みは避けたいと思い、平日の午後、人は少ないだろうと思ったが、案の定だった。

そういう中で「脳幹出血」そのものの体験記事にヒットする。脳幹というのは大脳のような大きな部位では無いはずだが、出血の箇所のわずかな違いで症状が違うのか、身体の麻痺だけでなく、私が経験しなかったような視界のゆがみや身体のしびれなどで苦労しておられる人もいる。そういう事例を知って今思うと、私は倒れた当初から「恵まれていた」のだろうなと思う。倒れたときから左半身が全く動かなかったが、当初から痛い熱いなどの皮膚の感覚はあった。おそらく感覚神経の中枢には何の問題も無かったのだろう。目や耳などに異常を来すことも無かった。さらにのどはしばらくおかしく、退院近くまでかすれ声になっていたが(その結果、管を外され食べ物が食べられるようになっても「とろみ」のついた食べ物や飲み物にしばらくお世話になったりもした。家族は半永久的に「とろみ」が必要になるだろうと「とろみ」のついた食品や「とろみ」のつけかたを調べていたようだ。今はもちろんその必要は全くない話せなくなることも無かった。

これだけ見るとどこの山奥?という感じだが、公園の中だ。

倒れた直後は生死も五分五分、医者もどこまで出血が広がるかによっては、まったく予断を許さないという見解だったようだし、前も書いたが実際に出血量はかなり多かったようだが、結果的に致命的な部分を外したばかりか、重大な部分はほとんど出血の被害を免れたからだろう、そして運動に関する部分はリハビリで改善することができたために今日の私がいる。運動に関する部分だって重大だが、現代のリハビリプログラムはたいしたものだ。全然動かなかった左半身、そのせいで当初はベッドから起き上がることもできなかった私が、今では車を操って毎日散歩に出かけているし、普通に授業もしているなどとは自分でも想像出来なかった。この前、数か月ぶりにクリーニング屋に出かけたが、顔見知りの店員は私が脳卒中で入院していたとは分からなかっただろう(から何も言わなかった)。ただの「季節の変わり目にしばらくぶりに来た客」だったに違いない。今年もまた秋にはあちらこちらの高校の説明会でいろんな人にも会うことになるのだろうが、私が生死の境から帰ってきたとはよもや思うまい。塾生だった子たちのご家庭でもそうだろう。そんな重症を負った人間がわずか数か月で現場に戻ってくるとは想像もできなかっただろう。いろんな「恵み」が重なって、今、私はここにいるのだ。あの世ではない、この世に。そんなことを思った。

以前訪れたときはこの辺りに八重桜が咲いていたと思うが、季節は移り変わりさすがに新緑になっていた。

再会

 昨日の夕方、さあ、塾を出ましょうと車に乗ったそのときに、毎年訪問してくださる某私立高校のH先生が来られた。H先生とは先生の前任校の時代からのおつきあいだ。最初にお会いしたときは私もまだ若造の会社員だったからもう四半世紀になるだろうか。ここをご覧になったのか、風の便りか、私がこの数か月どうなっていたのかご存じだったらしい。お目にかかり、しばらくして先生が涙を。お騒がせいたしました。当の本人は自分が生死の境を彷徨って棺桶に片足を突っ込んでいたなんてこともそのときは知らず、病院で寝ていただけです。気付いた頃には左半身が動かなくなっていました。そして今はこうして普通に動いております。医者も脳の写真を見せながら「強運の持ち主」と言いました。このようにぴんぴんしております。生きてお会い出来て嬉しかったです。またよろしくお願いいたします。

これは2週間ほど前の隣の隣の市の桜の名所。当たり前だがすっかり葉桜。また歩きたいな。

 生きていてよかったなと思えることが最近がいろいろあったが、今日もまた、自分が生きていてよかったなと思えた瞬間だった。私はこの世にいるはずだ。ここはあの世ではないはずだ。振り返れば4か月前にはこうやって普通に歩いて左手も動かして普通に車を運転もしている自分が全く想像出来なかった。どうやってこの先、動かない、起き上がることもできなかったこのからだとつきあっていくのか、これでは塾屋を続けるのはもう無理かなと病院のベッドで半ば絶望していた。日々是前進。明日は明日。また頑張ろう。

これも同じ2週間ほど前に撮った隣の隣の市の市民公園。こういうご時世なので近場の公園に出かける人が結構いるようですね。

最近はここには書いていないが日常的に散歩は続けている。家の近所のスポーツ公園で5,000歩ぐらい。5.0km/hはもう当たり前になった。たまに5.1km/hが出ると喜んでいるが、速さは目標にしていないから強くは意識していない。最近速いのは体力がついてきたからなのか、写真を撮ったり寄り道していないせいなのかは分からない。自分では同じ調子で歩いているつもりだ。これからも5,000歩/日を目安に歩いていきたい。散歩だけでそれだけ歩けば、生活場面もあわせた1日トータルで1万歩近くにはなっていると思う。

雨と散歩と

今日も散歩に出た。家の地元のいつものスポーツ公園は何にも遮るものがないジョギングコースなので、さすがにこの天気では避けることにした。塾のほうのスポーツ公園は藤棚でぐるっと覆われているので傘は必要だろうが雨の降りは弱まっているだろうと。本当は街のアーケードの下を歩くことも考えたが、今日は止めにした。

想定通り傘を差しての散歩だったので3,000歩ほどで切り上げたが普通に歩いていたのに5.0km/h出ていた。下がかたいと速さが出るのかな。いつものスポーツ公園のコースは柔らかいアスファストでとても歩きやすいが「頑張って」5.0km/hが出るかどうか・・・。昨日の近所の公道や公道並みの堅さの(に思える)ここのスポーツ公園では速くなるのだからそうかなという。今日は途中まで5.1km/hだったので残念だがなかなかの速さだ。この調子でいきたい。

朝晩の血圧がやや高めで(といっても上が130台。上が130台で「高い」と言えるようになった。倒れたときの血圧は上が220だったそうだからなあ。)、昼間が低い(上が100台とか110台とか)という現象が続いている。昼間が低いのは朝の薬が効いているのだろうが、入院中はそういう時間帯で調子がいいときでも130台、140台だったし退院直後も140台どころか150台もあったから、現状には喜んでいる。どんな時間帯でもどんな条件でも、もう150台以上の血圧を見ることはなくなった。今後は朝晩も昼と同じような血圧が出せるようにしたい。

体重と体脂肪率は順調に減少中。この調子で。

見ていて下さる人たち

復帰を決めるまで、そして実際に現場に復帰するまで、ここに何かを書いても雲をつかむような感じで見えない相手に語りかけているような感じだったが、その間ずっとこのサイトをご覧いただいていてつまらない散歩記事におつきあいいただいていた方がいらっしゃった。昨日、生徒のお迎えに来られたお父さんは目の前の道路を通勤されていて、毎日我が塾の様子をご覧になっていたそうだ。我が塾の微妙な変化にも気付いておられたとのこと。わざわざ私にそう伝えてくださった。見ていてくださる皆さん、ありがたい。

体重も体脂肪率も減少中

散歩は相変わらずほぼ毎日続けている。今日も雨がやんだ隙に外に出た。車を運転してスポーツ公園に行くようになってから家から徒歩で出ることが無くなっていたのだが、今日は家から歩いて近場を回った。家から近所の神社への道。最近はずっとスポーツ公園のジョギングコースを4~5周、5,000歩程度を歩いていたが、たまには公道もいいものだ。車と水たまりと空を気にしながら歩いていたら5.1km/hが出ていた。今日はこの速さを維持したいと思っていたら本当に維持出来た。歩数はやや少なめの3,000歩ぐらい。昼からも車で出て、やや遠くの屋根の下を歩くつもりで構えていたが、出かける道中で気持ちが折れて取りやめにした。家に帰り、風呂の前に体重を測ると、こういう(普段ほどは動けていない)日に限ってやや減っていた。体脂肪率も減少。いい調子だ。体重がもし70kgになったらここでも報告したい。

入試の日程は今月末か

公立高校入試の日程その他はまだ県教委から公式発表されていない。前も書いたが「活性化に関する検討まとめ」にもあったように5月を「目途に」出すようなので、今月の終わりか。知事が緊急事態宣言を政府に要請するらしいが、学校の運営はどうなるのだろう。そんな時期だから来春の入試の日程どころではないのかもしれないが、入試の日程と同時に学科改編等も発表するようだから、目指している生徒たちのためにも早く発表してほしい。並行して、ミスが目立った、日程も特殊だった今春の入試の運営についての反省や検証も示してほしい(しているんですよね?)と思う。

再生

振り返れば昨年末の12/23夜に授業したのが最後だったから、4か月以上授業をしていなかった。こんなに長い期間、授業を離れていたのは開校以来かな。と思ったが開校したときもこんなには離れていなかった。もう四半世紀近く前のあの年は3月20日に退社して、授業をすることがなくなった。この塾を開校したのは7月1日だから4か月弱。何していたんだろうな(ちなみに開校を予定してやめてない。突発的に辞めたからこれからどうするか考えてなかった。若いからできたことかもねえ。よい子の皆さんはまねしちゃ駄目だよ。計画的にな)。辞めてすぐはぼーっとしていてしばらくしてからは開校準備に奔走していたはずだがもう20年以上前のことなのであまり覚えていない。

ということで今週から久しぶりの授業をしている。これが「生きている」ってことなんだなと改めて。入院時は「生きている」実感に乏しい期間だったが、退院後は散歩したり風景を見たり車を運転したりする中で「生きている」実感は確かにあった。が、どこかふわふわした感じは否めなかった。地に足は付いているのだがその地面が固くないというか…。彼ら仮受講生たちを前に授業した昨日、退院後初めて「ふわふわした」感じが消えた気がする。生きているって素晴らしい。

散歩は継続している。一日5,000歩程度、1時間程度なら続けられるだろうと「継続すること」を第一に考えている。だから遠出はせず、地元のスポーツ公園がホームグラウンドだ。速さは相変わらず4.9~5.0km/h。昨日は5.0km/hでまとめることができた。

昨日は外来診察にも行って担当医に久しぶりに会った。血圧を報告して薬をもらった。ここのところ血圧もだいぶん下がってきた。薬無しでも今の数値が出せるようになるとよい。体重は退院直後よりも微減。体脂肪率も下がっている。適切に、つくべきところに筋肉がついたのだろう。体重についてここまでは数値目標を定めずに来た(退院時の体重維持というおおよその「目安」はあった)が、酒も断ち(倒れてからは入院中は当然ながら退院後も一滴も飲んでいない。最後に飲んだのは倒れる直前の昨年12/24深夜だ)、もちろん間食もしていない生活だから、いっそあと5kg痩せられないかなと最近は欲が出てきた。そのときスーツほか着るものはどうなっているだろう。こう見えても「中年太り」はしてこなかったので(最初から太っていた)サラリーマンの頃からスーツのサイズがずーっと一緒なのであるが、今度買うときはさすがにサイズダウンをしないといけない。

看板

看板の下のほうに書いてあった電話番号が見えなくなるように(うっすら見えるときもあるが透けているのでなく凸凹が浮いているのだと。仕方ない)先月末、工事をしてもらった。この看板をリニューアルするときにお願いした看板屋さんだ。

前の電話(番号)は私が入院していた初期、使っていないものの経費を少しでも削りたいと考えた家族によって契約解除された。前から書いているように入院当初は復帰など夢物語、(1)いのちがあるかどうか→(2)ベッドから動けるかどうか→(3)自分で立てる・歩けるかどうかというのが入院中盤までの流れだったから(入院時のその後の快復については前の記事に書いたとおり)、契約解除も当然だろう。この塾が「店子」で借りものだったら塾自体も「契約解除」されて引き払われていたかもしれないが、そこは幸いなことに持ち主(私)の知らないところで売り払われることはなかったからこうして残っている。

あれから5か月も経っていない。こんなに早く復帰へと駆け上がれるとは4か月前の自分自身が想像できなかった。2か月余り前の退院直後、復帰の予定を訊かれたりもしたが、お答えしたくてもそのときの私は退院したとはいえ自宅療養中、車もまだ運転出来ず運転出来る目途も立たず、体力的にも当時はできる確信が無かったし、この仕事はもうできないのではないかと思った時期も入院中にはあったくらいでその後そんなに経っていないわけだから、復帰の予定など全く立てられず、確定的なことは何も言えなかった。退院当時と比べたら現在は、はるかに力強いと自分でも思う。ここをご覧の方は分かるように、退院直後は家の階段はさておき外の階段の上り下りには慎重さが求められたし、物を持って上下するなんて考えられなかったが、現在は机を持って塾の1階と2階を上下出来るまでになった。退院時に担当していた理学療法士さんに報告したいくらいである。「退院後こんなに快復しました報告会」があったほうがリハビリスタッフの皆さんも喜んでくれると思うのだが。忙しいのにそんな機会は必要ないか…。

今日も近くのスポーツ公園で散歩した。ちなみに昨日は雨だったのでどこにも行っていない(雨の降り方を見てアーケード街での散歩もやめた。昨日は「0歩」)。6300歩ほど。4.9km/h。もう4.9km/hはごく自然に出せるようになった。ここはさらに高みを目指して5.0km/h以上を目標にしたほうがいいのかもしれないが…。空を見上げれば飛行機雲。今ごろこんな風景を見ることもなかったのかもなあと思うとしんみりする。

休みの日は子どもたちもいて賑わっていたテニスコート、この日は公園の別のコートにこそ大人の団体がいたがこちらはがらんとしていた。大型連休が終わったんだなあという寂しさだ。テニスコートが立派なだけに人がいないと余計寂しさが際立つ。

昨日も今日も散歩は続く

昨日は書いてなかったがもちろん散歩は続けている。昨日も今日も地元のスポーツ公園を回った。昨日は5300歩余り。速さはちょっとだけ気にしたら(のんびり歩かないようにしようかなという程度)5.0km/hが出た。いい気になって今日も同じ調子で歩いたら5500歩余り、4.9km/h。どうやら普通に歩くと4.9~5.0km/hの間になるらしい。1か月前はしゃかりきになって歩いて同じような速さだったなあと思い出す。だいぶん進歩してきた。

昨日も今日も例の健康器具を使った。もちろん左手だけ、昨日は20往復×3、今日は20往復×2だ。使い始めの頃は10往復もやっとで5往復×2とかにしていたことを思えばだいぶん進歩した。足の回復は歩いているだけで顕著に感じるが、手はこういうとき顕著に感じる。入院中お世話になったリハビリスタッフのみなさん(理学療法士さんや作業療法士さん)に今の自分の回復ぶりを見てほしい気もするが、月に一度の外来診察以外には病院に用がない私には残念ながらその機会はないのだった。

昨日はGWといっても谷間の平日。高齢者のテニスとわずかに歩く人以外にはいない公園だったが、今日のグラウンドにはサッカー少年たちが。クラブチームだろうか少年団だろうか。小学生っぽい子たちだった。野球場には軟式野球大会の字が飾られていたが試合は無し。明日以降だろうか。

両日ともツツジがきれいだったので撮影してしまった。上2枚は4/30のもの、下1枚が今日のものだ。

今日は県内の新型コロナウイルス感染者が多かったようだが、それにしてもこのコロナ禍はいつまで続くのだろうか。去年の中3生たちは部活動も修学旅行など学校行事もかわいそうなことになった。今年の諸行事はどうなるのだろう。収束してほしいと書いたり言ったりしても新型コロナウイルスはどっかに消えてはくれないが・・・。