「8.脳幹出血からの復活」カテゴリーアーカイブ

MRI検査

 退院後、半年が経ち(考えてみれば退院してまだ半年なんだなあ)経過を見ると言うことでMRIの検査を受けた。

真夏の岐阜公園から。

 その後に外来診察があり、さっそく撮りたて(?)の脳の画像やら血管の画像やらを見せてもらった。血圧に気を付ければよいだろうという主治医のご指導だった。

これも岐阜公園。入院中から「水源」の夢をよく見たのは私がなぜか水のあるところに惹かれているせいか。

 脳の画像を見ながら改めて「運が強かった」「奇跡」と。生死を分けたのは何だったか聞くと「神さまがまだこっちに来るなということでしょう」「盆なのでご先祖様に感謝して」と。医者をして神の領域ということらしい。

これも岐阜公園から。退院したすぐはこんな階段を降りるのは躊躇しただろうなあ。

 「私は血圧を下げること以外は何もやっていないから伊藤さんの運がよかった」と。もちろんその処置が的確ですぐに為されたからここまでになったのだと思うが、「いのちがあるかどうかは五分五分」から生還し、当初はほとんど動かなかった左半身は今では普通に動き、何かを入れたらむせてしまってまともな食事ができなかった(ためにチューブを入れて栄養を入れていた) のど から今では(酒を止めて塩分にちょっとだけ気をつけているほかは)以前と同じように食事を入れ、毎日歩いて車も運転して…倒れた当初の家族からは、そして入院初期の私自身からは、とても想像できない身体になっている今。ありがたいことだ。

 わずかに残る左手の感覚の違和感だけが今も「倒れた」ことの証になっているが、ほかに異常は無いのだから。同じ病に倒れた他の皆さんに申し訳ないような気さえする。今は「お前、本当に脳卒中で倒れたのか」と疑われそうなレベルだ。

 新型コロナウイルスの感染者数は増加するばかりだ。中学校が休校にでもなったら、そして塾一般に対して休業要請が来るようなことになれば、再びオンラインの授業を検討するかと考えていたが、今は夏休み中。岐阜県が「まん防」の対象でもない今、塾相手にそういう話(休業の要請など)も無く。ただ、もっと増えてくることがあれば、国や県の施策に拘わらず独自で何かを考えなくてはならないかもしれない。

恵まれた人

脳幹出血の人の体験が書かれたネット記事を読む機会がある。脳幹出血で検索しても「脳出血」「脳内出血」という記事が出てくることも多いが、脳幹出血も脳出血・脳内出血なので当たらずとも遠からずという感じだ。だが、有名人に犠牲者が目立つ割には「脳幹出血」の体験記事は少ない。

今日の午後の散歩は隣の隣の市(ということになるのだろうか)にある県の公園に行ってきた。このご時世、人混みは避けたいと思い、平日の午後、人は少ないだろうと思ったが、案の定だった。

そういう中で「脳幹出血」そのものの体験記事にヒットする。脳幹というのは大脳のような大きな部位では無いはずだが、出血の箇所のわずかな違いで症状が違うのか、身体の麻痺だけでなく、私が経験しなかったような視界のゆがみや身体のしびれなどで苦労しておられる人もいる。そういう事例を知って今思うと、私は倒れた当初から「恵まれていた」のだろうなと思う。倒れたときから左半身が全く動かなかったが、当初から痛い熱いなどの皮膚の感覚はあった。おそらく感覚神経の中枢には何の問題も無かったのだろう。目や耳などに異常を来すことも無かった。さらにのどはしばらくおかしく、退院近くまでかすれ声になっていたが(その結果、管を外され食べ物が食べられるようになっても「とろみ」のついた食べ物や飲み物にしばらくお世話になったりもした。家族は半永久的に「とろみ」が必要になるだろうと「とろみ」のついた食品や「とろみ」のつけかたを調べていたようだ。今はもちろんその必要は全くない話せなくなることも無かった。

これだけ見るとどこの山奥?という感じだが、公園の中だ。

倒れた直後は生死も五分五分、医者もどこまで出血が広がるかによっては、まったく予断を許さないという見解だったようだし、前も書いたが実際に出血量はかなり多かったようだが、結果的に致命的な部分を外したばかりか、重大な部分はほとんど出血の被害を免れたからだろう、そして運動に関する部分はリハビリで改善することができたために今日の私がいる。運動に関する部分だって重大だが、現代のリハビリプログラムはたいしたものだ。全然動かなかった左半身、そのせいで当初はベッドから起き上がることもできなかった私が、今では車を操って毎日散歩に出かけているし、普通に授業もしているなどとは自分でも想像出来なかった。この前、数か月ぶりにクリーニング屋に出かけたが、顔見知りの店員は私が脳卒中で入院していたとは分からなかっただろう(から何も言わなかった)。ただの「季節の変わり目にしばらくぶりに来た客」だったに違いない。今年もまた秋にはあちらこちらの高校の説明会でいろんな人にも会うことになるのだろうが、私が生死の境から帰ってきたとはよもや思うまい。塾生だった子たちのご家庭でもそうだろう。そんな重症を負った人間がわずか数か月で現場に戻ってくるとは想像もできなかっただろう。いろんな「恵み」が重なって、今、私はここにいるのだ。あの世ではない、この世に。そんなことを思った。

以前訪れたときはこの辺りに八重桜が咲いていたと思うが、季節は移り変わりさすがに新緑になっていた。

雨と散歩と

今日も散歩に出た。家の地元のいつものスポーツ公園は何にも遮るものがないジョギングコースなので、さすがにこの天気では避けることにした。塾のほうのスポーツ公園は藤棚でぐるっと覆われているので傘は必要だろうが雨の降りは弱まっているだろうと。本当は街のアーケードの下を歩くことも考えたが、今日は止めにした。

想定通り傘を差しての散歩だったので3,000歩ほどで切り上げたが普通に歩いていたのに5.0km/h出ていた。下がかたいと速さが出るのかな。いつものスポーツ公園のコースは柔らかいアスファストでとても歩きやすいが「頑張って」5.0km/hが出るかどうか・・・。昨日の近所の公道や公道並みの堅さの(に思える)ここのスポーツ公園では速くなるのだからそうかなという。今日は途中まで5.1km/hだったので残念だがなかなかの速さだ。この調子でいきたい。

朝晩の血圧がやや高めで(といっても上が130台。上が130台で「高い」と言えるようになった。倒れたときの血圧は上が220だったそうだからなあ。)、昼間が低い(上が100台とか110台とか)という現象が続いている。昼間が低いのは朝の薬が効いているのだろうが、入院中はそういう時間帯で調子がいいときでも130台、140台だったし退院直後も140台どころか150台もあったから、現状には喜んでいる。どんな時間帯でもどんな条件でも、もう150台以上の血圧を見ることはなくなった。今後は朝晩も昼と同じような血圧が出せるようにしたい。

体重と体脂肪率は順調に減少中。この調子で。

見ていて下さる人たち

復帰を決めるまで、そして実際に現場に復帰するまで、ここに何かを書いても雲をつかむような感じで見えない相手に語りかけているような感じだったが、その間ずっとこのサイトをご覧いただいていてつまらない散歩記事におつきあいいただいていた方がいらっしゃった。昨日、生徒のお迎えに来られたお父さんは目の前の道路を通勤されていて、毎日我が塾の様子をご覧になっていたそうだ。我が塾の微妙な変化にも気付いておられたとのこと。わざわざ私にそう伝えてくださった。見ていてくださる皆さん、ありがたい。

体重も体脂肪率も減少中

散歩は相変わらずほぼ毎日続けている。今日も雨がやんだ隙に外に出た。車を運転してスポーツ公園に行くようになってから家から徒歩で出ることが無くなっていたのだが、今日は家から歩いて近場を回った。家から近所の神社への道。最近はずっとスポーツ公園のジョギングコースを4~5周、5,000歩程度を歩いていたが、たまには公道もいいものだ。車と水たまりと空を気にしながら歩いていたら5.1km/hが出ていた。今日はこの速さを維持したいと思っていたら本当に維持出来た。歩数はやや少なめの3,000歩ぐらい。昼からも車で出て、やや遠くの屋根の下を歩くつもりで構えていたが、出かける道中で気持ちが折れて取りやめにした。家に帰り、風呂の前に体重を測ると、こういう(普段ほどは動けていない)日に限ってやや減っていた。体脂肪率も減少。いい調子だ。体重がもし70kgになったらここでも報告したい。

入試の日程は今月末か

公立高校入試の日程その他はまだ県教委から公式発表されていない。前も書いたが「活性化に関する検討まとめ」にもあったように5月を「目途に」出すようなので、今月の終わりか。知事が緊急事態宣言を政府に要請するらしいが、学校の運営はどうなるのだろう。そんな時期だから来春の入試の日程どころではないのかもしれないが、入試の日程と同時に学科改編等も発表するようだから、目指している生徒たちのためにも早く発表してほしい。並行して、ミスが目立った、日程も特殊だった今春の入試の運営についての反省や検証も示してほしい(しているんですよね?)と思う。

キセキ

 以前も書いたが「強運の持ち主」とは担当医に贈られた言葉だが、私の脳の写真を見たという回復期病棟で担当した理学療法士さんも、その出血量の多さに驚いていた(これも書いたか)。私自身も入院中盤に私自身の脳の写真を見せてもらい、出血の状況は確認した。確かにひどかった。一言で「脳出血」と言ってもごくわずかの量で回復も早い人もいるそうだが、全然そんな人の画像じゃなかったし、実際すぐよくなるような身体ではなかった。急性期(入院初期)の私はそんなふうだったが、回復期リハビリ病棟の私は、独歩杖無しで歩き回ったり手の動きも日々改善したりだったので、倒れた最初の病状とのギャップが大きかったのかもしれない。

倒れた当初、家では電話が鳴るたび病院からの悪い知らせではないか(コロナ禍のため、家族でも付き添いや見舞いは原則出来なかった)と思ったほど、病院での説明では生死について厳しいものだったらしい(これはどこかで書いたな)。そしてその山を越えて命はどうやら大丈夫そうだということになった後も、寝たきりで過ごす覚悟は必要だったらしい。生きているだけで幸せ、初期はそういう段階だったようだ(私が昼夜構わずというか外の様子も分からないから昼夜がなかなか分からずよく眠っていた期間である)。私自身、年末年始は管をたくさんつけられての入院生活だったのだが(当たり前だが病院では元日だからと言って特別な何かをしてくれるわけではない。食事が出ていた人は食事に正月らしさがあったのかどうか知らないが、そのとき私は食事もしていない。寝たきりで管から栄養を入れていた)、家族にもひどい年末年始を送らせてしまったなと思う。だいぶんたって私が病院からのメールで(リハビリのおかげもあって)順調に回復している様子を伝えるようになっても、家の人間たちは半信半疑だったようだ。命があるだけ幸せという状況からそこまで本当に快復したのかと。左半身ほとんど動かなかった男がそこまで快復したのかと。そこには担当リハビリスタッフの皆さんのご尽力があったのだが。今は普通に動かせる。リハビリというのは凄いなと思う。全く動かなかった身体をここまで戻してしまうのだから。

大型連休に入る前、古くからの友人、いろんな業者さん、某私立高校の先生にもお会いした。高校の先生は飛び込みで偶然だった。そんなことを思い出したのは、お会いした人たちによってはそういう倒れた当初の状況から説明したりもしていたからでもある。先述した状況を思うと今の快復は当初から事情を知る人からは想像もできないことだった。私自身が生涯、動かない半身とつきあわなければならないもかもしれない、どうやって塾をやるんだろうと半ば絶望したのは入院期間の中盤だったが(逆に半身を引きずりながら塾をやっている夢も見たが)、それもこうして動けていることで今となっては取り越し苦労だった。普通に立って声を出して授業ができる。もちろん身体を引きずってはいない。自分が倒れて詳しく知ったが、世の中には命を拾っても後遺症で苦しむ方も大勢いる。自分は申し訳ないくらい幸せかもしれない。「強運の持ち主」だったのだろう。

そうそう、ある業者さんのところで賢学塾の初期の卒業生が働いていることは以前から知っていた。学校を出て同じ会社で一筋、よく働いているなと感心していたら現在産休だという。聞けば3児の母になっているそうだ。子どもを産んでも仕事を続けているようだ。幸せになってほしい。他にも父親・母親になっている卒業生は風の便りで聞くのだが、そういう話を聞くにつれ、この塾も長くなり、また私自身もそれなりの年齢になったのだなと思う。若い頃この塾を開校したときにはそんな先のことは全く考えていなかった。1997年夏の開校だから24年近くしか経っていないのだが、前世紀のことだというと古く感じる。

こんなことばかり書いてしんみりしているが、今日も散歩は継続している。最近は地元のスポーツ公園周辺で。純粋に歩くことが目的だから近場で済ませている。今日は子どもたちのサッカーやテニスで賑わい、駐車場の車が珍しく密だった(車が密でも感染はしないだろうが)。なんだか場違いな気がして(私も利用者なのだが)、管理棟がある正面の駐車場でなくて公園の隅の駐車場に車を移す。雨がぱらぱら降ったりやんだりはっきりしない天気だったので急いで歩くことを優先。写真も無し。健康器具も無し。その割には(5300歩余りなのはいいとして)速さが4.9km/hだった。真剣に歩いていた割には速さが出なかった(速さを強く意識してはいなかったが)。別に速さにノルマがあるわけではないが、ちょっと残念。

昨日も今日も散歩は続く

昨日は書いてなかったがもちろん散歩は続けている。昨日も今日も地元のスポーツ公園を回った。昨日は5300歩余り。速さはちょっとだけ気にしたら(のんびり歩かないようにしようかなという程度)5.0km/hが出た。いい気になって今日も同じ調子で歩いたら5500歩余り、4.9km/h。どうやら普通に歩くと4.9~5.0km/hの間になるらしい。1か月前はしゃかりきになって歩いて同じような速さだったなあと思い出す。だいぶん進歩してきた。

昨日も今日も例の健康器具を使った。もちろん左手だけ、昨日は20往復×3、今日は20往復×2だ。使い始めの頃は10往復もやっとで5往復×2とかにしていたことを思えばだいぶん進歩した。足の回復は歩いているだけで顕著に感じるが、手はこういうとき顕著に感じる。入院中お世話になったリハビリスタッフのみなさん(理学療法士さんや作業療法士さん)に今の自分の回復ぶりを見てほしい気もするが、月に一度の外来診察以外には病院に用がない私には残念ながらその機会はないのだった。

昨日はGWといっても谷間の平日。高齢者のテニスとわずかに歩く人以外にはいない公園だったが、今日のグラウンドにはサッカー少年たちが。クラブチームだろうか少年団だろうか。小学生っぽい子たちだった。野球場には軟式野球大会の字が飾られていたが試合は無し。明日以降だろうか。

両日ともツツジがきれいだったので撮影してしまった。上2枚は4/30のもの、下1枚が今日のものだ。

今日は県内の新型コロナウイルス感染者が多かったようだが、それにしてもこのコロナ禍はいつまで続くのだろうか。去年の中3生たちは部活動も修学旅行など学校行事もかわいそうなことになった。今年の諸行事はどうなるのだろう。収束してほしいと書いたり言ったりしても新型コロナウイルスはどっかに消えてはくれないが・・・。

雨でも散歩

今日は昨日の宣言通り歩きに出た。もちろん雨だったので屋根の下を。ショッピングモールも考えたが祝日だったので密というか人出を避けて、人が少ないだろうアーケード街を求めて(それも寂しい話だが)岐阜へ。

期待通り人が少ないアーケード街(何度も書くがそれも寂しい話だが)だった。今日はここに来るだけだったので少し寄り道して歩くかと柳ヶ瀬の中まで入り込んで歩いた。人は多くない。

歩きながらいろいろなことを考えた。入院中、前の自分との比較をやめてゼロからの進歩で考えるようになったこと。あの頃は「動けていた倒れる前の自分」との比較をやめたのだった。それがこれだけ動けるようになると、贅沢なものでまた「動けていた倒れる前の自分」との比較になってしまう。そうでなく、ゼロベースで考えて積み上げてここまで来たのではなかったか。それを思い出した。つい3か月前の自分のことだった。半年区切りで考えるとジェットコースターのような歩みだ。入院中、廊下の先の先に復帰の光を見て病棟内をひたすら歩行自主トレしていたのではなかったか。頑張ろう。

結構歩いたかなと思い帰路につく。車に乗る。歩数計アプリを見たら4700歩ほどだった。雨の中だったがまあまあ歩けたか。速さは4.9km/h。濡れて滑りやすくなっていた地下道の階段、途中の交差点などの雨の中も歩いたわりにはまあまあだ。街の中だったのということもあって道中1枚も写真を撮らなかったが、岐阜に来たという証に帰り際に写真を撮る。

ここのところ毎日書いているが、岐阜県の公立高校入試の日程の発表は明日あるかどうかに注目している。明日無ければ異常事態だ。そんなことがない(日程の発表がない)ことなどみんな気付いていないだろう、いつだっていいやと県教委が油断しているなら(そんなことはないだろうが)大間違いだ。ここに発表を待っている人間が少なくとも一人いるのだ。今日は祝日だったから明日に注目する。

話は変わるが岐阜県もコロナの感染者数が増えてきている。個人的な話だが第3波(2回目の緊急事態宣言)のとき、私は入院中だったのでよく分からないのだが、世間はこんなに緩かったのだろうか。病院では院内感染防止のため同居の家族でもめったに面会すらできない状態だったのだが世間は違ったのか。私はそういう世間の空気を知らずに現実世界に舞い戻ってきてしまったのかな。何か考え違いというか認識が世間と離れているのかもしれないと思った。

季節の移ろい

今日も午前中は散歩。地元のスポーツ公園へ。テニスをする高齢者と歩く人もちらほらという感じ。ジョギングコースだけではワンパターンなのでコースを外れて今日も隣(「京本なり」と変換されて笑ってしまった。誰?京本なりさんに会ってみたい気もするが。昔、塾のプリントに「文字と式」と打ったら何度も「門司俊樹」が出たことがあった、と書いていたら今も出た。誰?門司俊樹さん)の公園を通ったり。

昨日と同じく、公園で咲いているばらを発見。

こぢんまりしたふじ棚。いつぞやここの下で茶を飲んで休んだ記憶。まだ車に乗っていない頃だな。あの頃は全然咲いていなかったからこうなる絵図は想像出来なかったが。

このブログに何度も登場している「気の早い桜」を隣の普通の桜とともに。どっちが「気が早い」のか、もう完全に分からない。どっちでしょう?とクイズにしてみる。

バラやふじだけじゃない、実はスポーツ公園の外周にはツツジもいっぱい咲いていた。歩いていて視界に入っていたはずなのに、今まで無視していてごめんなさい。

奥にはたまに登場してきた跨道橋が写ってる。今日は歩いていないが。

例の健康器具も使った(写真省略)。20往復連続に挑戦したらできた。脚だけでなく、手も回復していることを実感。

外を大回りしながら4周ほど歩いて車に乗る。夕方確認したら6800歩余り、4.8km/h。車に乗るまで4.9km/hだったはずだが、歩数計アプリのスイッチを切り忘れていたため、その後雑用その他でちょこちょこ歩いた分がカウントされてぎりぎりのところで4.9を滑り落ちてしまったようだ。そういえば歩数も6000歩ちょっとだったような。まあ、仕方が無い。明日明後日は天気が悪いようだ。またアーケードの下を歩くかな。

話は全然変わるが、岐阜県公立高校入試の日程はまたしても発表されなかった。4月は明日と金曜日の実質2日しかない。今年は4月中には出ないのだろうか。

今日も歩いた/入試日程はまだ

今日も散歩した。近くのスポーツ公園。遠出して散歩するのもいいが、近場もまだまだ制覇したとは言えない。普段散歩しているこの地元スポーツ公園周りでもまだ歩いていないところがある。

スポーツ公園内をまず1周。平日だけに、テニスコートの高齢者以外はがらんとしている。そののち、バラの植えてある隣の公園に。まだ季節じゃないよなと油断していたら、この春の暖かさ(最近は寒い日もあるが)のせいだろうか、もともと早咲きなのだろうか、もう咲いているものが少しだけあり、驚く。

こっちにはあまり来ていなかったので、この階段は上ったことがなかった。近くには以前撮ったこともあるすべり台がある(写っていない)。当然すいすい。

この堤の風景、桜が開花する前から撮ってきた。今はもうすっかり葉桜だ。まさに新緑がきれいな季節になった。奥に少しだけ見える跨道橋を今日も渡る。

以前から気になっていた堤防下の遊具がある広場に今日は下りてみることにした。

下りてみたはいいが、この先は通り抜けられないようにも見える風景。行き止まりだったら引き返せばいいと思い、とりあえず前進。

出口に出た。通り抜けられた。そりゃそうだよな。

スポーツ公園に来たんだからと例の運動器具も使う。10往復×2ぐらいは左でもこなせるようになった。ぐるっと歩いまた10往復×2をやる。

スポーツ公園ではそういう大回りもしながら5周ほどして帰宅。6700歩あまり、4.8km/h。撮影しながらで速さを全く意識していなかったから仕方が無いが、撮影していない歩き始めの1周は5.0km/hだったはずだっただけに、もう少し速さにこだわった方がよかったかなと少しだけ残念。しかし「速さを全く意識していない」なかで不動産広告基準の速さが出たことを前向きに捉えよう。

帰り、信号待ちしていたら車窓から見える麦が穂を出して見事だった。思えば彼ら麦たちがまだ低い草のような状態の頃から歩いていたなあ。もうすぐ収穫か。早いものだ。

入院2か月、退院後2か月が経った。入院しているときには4月がずいぶん遠くにすら感じられたが、振り返るとあっという間だった。4月にここまで動ける自分を2月の入院時には全く想像できなかったから、先のことも考える余裕などなかった。「順調」だと医者も言ってくれる回復だからこそここからは慎重に行かねばと改めて思う。

入試日程はまだ

標題の通り、今日も岐阜県の公立高校入試の日程は発表されなかった。ウェブサイトも更新されない。今週中に何とかなるのだろうか。それともそもそも詳細が決まっていない、決められないのだろうか。この調子だと今年の中3生の入試に関する諸日程も影響が避けられないなあ。早くこのコロナ禍が治まることを願う。

散歩

歩くことを決してやめたわけではない。体力作りと健康維持のために続けている。何せ2か月も入院していたのだ。4か月は頑張らないといけないし、健康という観点では一生続けたほうがいい。続けるために歩数はセーブしている。歩くことは嫌いではない。

木曜日は床屋に行った帰りに藤を見ながら歩いただけでだいたい2,300歩(これはもう少し歩かないと。明らかに少なかった)、金曜日はやや少なめの3,600歩余り、土曜日は5,600歩余り、日曜日の今日は5,300歩余りを歩いた。今日は途中まで歩数計アプリのスイッチを入れ忘れていたので(うっかり者だな)、その1周分を加えれば実際には6,000歩は優に超えているだろうと思う。時間的に1万歩が難しくなっても、3,000歩~5,000歩の散歩、つまりは30分程度は当たり前にやりたい。金土日と速さは強く意識せず歩いて4.9km/hだった。もうスーツ&革靴で歩こうが何だろうが「普通」に歩いて4.8km/hは超えられるようになった。不動産広告の徒歩○○分を見ても自分の感覚と距離が合致する状態だ(不動産、今後買う予定はないけど)

この週末2日はいずれも地元のスポーツ公園を歩いたのだが、週末だけに主役は子どもたちだった。テニス、サッカー、野球。そしてそれを見守る大人の皆さんたちがグラウンドの隅やネットの外にたくさん。倒れる前は土日に公園に来るということはあまり無かったので、倒れてから来るようになった公園のこういった光景は私には新鮮だった。いかに世間の様子を知らずに「塾に引きこもっていた」か、よく分かる。考えてみればたまの休みもほとんど平日で、休日の世の中の様子など知る由もなかったのだった。