「7.脳幹出血からの帰還」カテゴリーアーカイブ

脳幹出血からの帰還30  自宅療養生活(15)

「退院後初の」外来診察

 今日は久しぶりの「診察」。先々週のリハビリ前診察(リハビリの前にも簡単な診察が必要。法で決まっているらしい)も主治医だったので、なんだか診察のための診察だという気がしないが。先週の診察で血圧手帳を渡され、この10日ほど血圧をつけていたが(それ以前・以後のデータもPCにはとっている)、3月に入り、ほぼ院内生活をしていたときのレベル(のイメージ)に落ち着いてきた。まだ10下げる必要があるとは主治医のお言葉。確かに高め。というわけで、夕食後少なかった薬が一粒増えた(朝の血圧が少し高めなのもある)。

自動車を運転する日はまだ

 先週、自動車学校への許可書を出してもらえるとのことだったので(この許可書は病院の提携する自動車学校に対してのみ有効らしい)、約束の通りそれをいただき自動車学校に行く日時が決まった。来月だ。まだまだ先だが、この時期だから仕方あるまい。もっと入院していれば、あるいはリハビリが長引いていたら4月にだって実車には乗れなかったかもしれない。自分の車を運転する目標は5月だったのでなんとか間にあうかな・・・。

 流れとしてはその実車講習をパスしたら公安委員会(警察)に相談して・・・と言うことらしい。実車講習、どうなるだろう。4か月も車に乗っていないまま迎えることになるから(旅行や海外出張が多い人にとってはざらなことかもしれないが)、病気云々以前に、車の運転の仕方を忘れていそうで心配だ。倒れる前は毎日乗っていたからなあ。

さよならリハビリ室

 そういう流れの話を聞きに行くために主治医の診察の後、リハビリ室に行ったのだが、次回の通院からは(外来診察で病院に来ても、ここには用事が無い。リハビリそのものは前回で終了している)もうここに来ることはないのだろう。入院中の思い出も多い部屋、寂しいやら悲しいやら。奥の方には急性期に私を担当してくれた理学療法士さんの姿がちらっと見えた。「懐かしい」と思わずつぶやいてしまったら、説明役の理学療法士さんに軽く笑われてしまった。ここに来たのは急性期の途中から(結構動けるようになってから)だったかと記憶しているから、およそ1か月以上は病室から「通った」部屋だ。装具をつけておそるおそる歩く私、左腕を真上に上げられない私、全部見てきた部屋では、今日もリハビリが続いている。ここにいる皆さんが早く元気になられますように。特に歩行練習している人には「私も全く歩けなかったが、リハビリすればこうやって歩けるようになるよ」と自分の姿を示したい気もする。

9800歩

 昼からはいつもの散歩に出る。昨日は一日の合計で9800歩だった。帰ってからアプリを開いて「しまった」と思ったが(付け足しで歩いて1万歩にしておけばよかった)、1万歩はまたの課題ということで納得することにした。惜しかった昨日の散歩、さらに惜しかったのは途中まで5.0km/hだったのが帰りの疲れと逆風のせいか最後には4.9km/hに落ちてしまったことだ。まあ以前から書いている不動産広告規格(80m/分=4.8km/h)はクリアしたかと自分を慰めることにした。別に不動産屋さんを開業するわけじゃないけど、早足の目安として。しかしなかなか5.0km/hは高いハードルだな。本来なら楽々越えたいが。

脳幹出血からの帰還29  自宅療養生活(14)

 今日も散歩に出る。一人で歩いて出る。午前中はいつも車で行っているスポーツ公園まで(の予定はなかったが歩いているうちに結果的にそうなった)。地元中学だろうか、現地では野球の試合をやっていた。。考えてみれば退院からやがて1か月が経とうとしている。早かった1か月だったかな…「何もしていない」1か月だったが、そろそろ動き出さなければと感じる。写真は散歩途中で見つけた鳥。あまりに悠然と道路にたたずんでおられたので。

 前も書いたが、こんなに何もしていないのは二十数年ぶりだ。入院期間も入れると昨年末から3か月も何もしていない。前の「何もしていない」期間でも2か月ない期間だった。3月下旬に退社して、GWの頃に開業する方針を立て、GW開けには動き出して、5月末には今の場所を手に入れることになった(どこかの場所を借りて開業するつもりで不動産屋さんを回ったが、あの頃テナントは世の中に今ほどあふれていなかった。当時は今ほど地価も下がっていないおらず大変な買い物だったが、結果的にそれがよかったと思っている)。今から思うと素早かったな。そろそろ動き出さないと。

 あの頃との違いは身体が問題だということ…。あの頃はそんなことは考えなくてよかった(あの頃の調子でこの歳まで来てなお考えてなかったから結果こうなったとも言える)。健康というのは大事なことでお金に換えられない資産だと実感を込めて思う。それもそれを損なってからでは遅いのだが。

 入院中、「どこか痛いところはありますか」と何度も病院スタッフに聞かれたが、意識がはっきりあるのが発症からいい加減経ってからのせいか、今回の一連のことで痛いと思ったところ、しびれて困ると思った箇所、苦しくてつらいと思った瞬間はない。だから自分では病人という自覚が薄いのかもしれないが、本当にない。ただ倒れて左の手足が動かなくなった、そして寝たきりになった、声が出しにくくなった、それがあっただけだ。脳卒中でも違う部位だと(たとえばくも膜下出血)頭痛がしたりするそうだが、私の場合、そういうことがない分、幸せだったのかどうか…。

 思い起こせば1月半ばにはまだ歩けなかった。平行棒につかまって、立っているのが精一杯だった。そういう支えの中でも歩こうものなら左脚は震えたし、左足は向いている方向がおかしくてそのたびに注意された。装具をつけて向きを修正しながら歩いた記憶。そんな自分を昨日は思い出していた。あの自分が杖も何も持たず公道を歩いていることが自分でも奇跡にしか思えない。あの頃でも車椅子生活を半ば覚悟していた(歩行訓練に意味があるのかとさえ思った瞬間もある)。両手でパソコンに文字を打っている自分が想像できなかった(パソコンに字を打つ練習は回復期に移ってしばらくしてからリハビリでやってくれた。片手で1文字ずつ打っていたら今ごろこんなブログも書いていられない)。タブレットを左手に持つと力が無かったので手が震えたから机において使うしかなかった。そう考えると進歩しているのかな。自分ではこの状態にもどかしさしかないが。

脳幹出血からの帰還28  自宅療養生活(13)

 今日は昼から雨が上がったので午後いちで一人で散歩に。いつもの駅に寄ってみたら偶然(狙っていたわけではない)電車の時間がちょうどよかったので、切符を買って街に出てみた。別に見たいものがあるわけでなく、どちらかというと「練習」的な意味合いが強かったので、駅周辺を散歩してすぐ折り返しの電車に乗った(といっても歩いている間に数十分経っていたか)。往復お世話になったのが、この型の電車。これを見るために乗り継いできたという親子が見送る中?発車(そんなにレアな電車なのかな?鉄道には詳しくないのでよく知らない。子どもが好きそうなかっこよさはない気が…敢えて言えばこのステンレス?ボディかな)

 で、駅から帰る途中、電話が鳴って家に呼び戻されたので、家にそのまま帰宅。暖かかったので上着を脱いで再び出発。今度は近場の散歩だ。いつもなら車で渡っている近所の橋まで歩いた(下は橋を渡りきった証拠写真)。山のほう、遠くを見やると雲間に注ぐ日の光が美しい景色を作っている。こんなのどかな景色が見られるのも自分が生きているからだと思うと、覚えず目から汗が…。「この世の思い出」として目の奥に焼き付けておいた。

 家に帰ってみて確認したら、今日のトータルで8500歩を超えていたので3度目の外出をやめにする。今日はここまで。また明日。

 

脳幹出血からの帰還27  自宅療養生活(12)

花など撮影しながら・・・

 心配された雨も午前中は降らず、昨日と同じ公園までの道を歩いた。途中、花がきれいに咲いていたので撮影などしながら。そんな寄り道をしたせいか、昨日より多い6700歩を歩く。距離にして往復5km弱、速さは4.7km/hと出たが(不動産の広告基準は80m/分=4.8km/hだそうだからちょっと足りないかな。病棟内で入院中に一時達成したかなあ。ちょっと鬼のような歩きだったが)、残念ながらまだ疲れが出てしまう。脚が痛いというのはない。全身だ。やはり体幹か。健常な頃にはこれくらい平気だったと思う。早くこれくらい平気になりたいところだが、この体力では復帰の道のりはまだ遠いかな…。先の見えない戦いは続く。

予報通りの雨の午後

 そして午後からは予報通りの雨となる。それでも最初は降ったり降らなかったりはっきりしない天気だったので、夕方いつもの一人散歩に出ようかなと思ったが、本降りの空になったのでやめた。まあ朝に7000歩弱歩いたのが安心にもつながったかな。明日は午後には雨は上がる予報なのでしっかり歩きたいと思う。

ドラゴンズ…

 散歩に出かけなかった午後、今日は久しぶりに試合開始から終了まで野球観戦など。ドラゴンズ、大丈夫だろうか・・・昨年一度もナゴヤドームに行かなかった(コロナを考えると行けなかった)が、バンテリンドーム ナゴヤ(名前が変わっただけ)には行けるのだろうか(いろんな意味で。社会情勢が好転したとしても私のほうが・・・)。そう考えると2007年とか2011年はよく行ったなあ。塾が休みというと現地に行っていた記憶・・・そういう楽しみが最近無くなったのも今回の脳卒中(脳幹出血)の遠因だったりして(とドラゴンズのせいに責任転嫁)。いや、私は弱くなっても監督が誰に替わっても応援していましたよ。ドームにも行っていたし(ただし回数は…)

脳幹出血からの帰還26  自宅療養生活(11)

血圧再びやや上昇?

 昨日、「魔法の血圧手帳」のおかげで血圧が落ち着いていると冗談を書いたばかりだが、今日はちょっと血圧が高め。といっても退院時の頃のようにやっと150台と言うこともなく、140台なのだがそれでも高い。120、130台であってほしい(回によってはそういう数字も出たのだが)。これで来週月曜日の外来は「血圧が高め」の相談で決まりだ・・・(既に薬も飲んでいるのに相談されても主治医も困るか)

早いもので・・・

 今日は老父の提案で町の北のほうにある児童公園?(今春高校を受験して発表待ちの妹の娘(つまり私にとって姪)をよく連れて行った公園だそうだ、私はよく知らないが。その幼女が高校生になる春。早いものだ。)まで歩いた。片道でいつもの散歩の半分以上の量だった。往復したらいつもの散歩以上、6000歩超えとなった。一人ではあっちの方に行ったことがないので今後は検討したい(疲れたら隣駅があるので1区間だけ電車に乗って帰るという手もある。ローカル線だけに待ち時間があるかもしれないが)

公道を9000歩

 夕方一人でまた近所の駅まで歩いたので(ついでに銀行にお使いなどした)、合計で9000歩。今日は公道だけで9000歩となったから、次こそ1万歩と言いたいところだが、明日は雨。さてどうするかな。午前中には散歩に行けそうだが・・・

大震災から10年

 東日本大震災から10年。これまで大震災の犠牲者家族の方々の特集など見て深く同情はしても正直、どこか遠くのことという感覚がぬぐえなかったが、自分がこうなるとぐっと身近になる。テレビに映された「息子を亡くした高齢者」の姿が目の前に座る自分の親だったかもしれないのだ。今年の震災特集は神妙に拝見した。

生きてます、動いてます

 夕方、父の代から世話になっている保険代理店の跡取りが突然家に来て何のことかと思ったら、彼に連絡もしていないのに噂を聞きつけたようで、お見舞いまでいただいたので生きている(そしてちゃんと動いている)姿をご覧いただいた。驚いて帰って行ったようだが、彼も私と同級生だ。身体にはじゅうぶん気をつけてほしい。私とは違って一人でやっているわけではないのでその点は大丈夫だが。

脳幹出血からの帰還25  自宅療養生活(10)

卒業生からの電話

 塾の卒業生(彼は昨年春に大学受験で不本意な結果だった)から昨夜電話があり、京都大学法学部に無事合格したとのこと。ずっと気にしていたが、この1年、さぞ苦しかったろう(そういうことを表に出すタイプではないが)。制度の狭間でもある。コロナ禍で異常な環境下でもあった。高校3年間、忙しい部活動をやり切って学業でもこの結果、本当によくやったと思う(自分にはできない)。これからも頑張ってほしい。それにしても京都での大学生活、うらやましい。

魔法の血圧手帳!?

 次の外来診察、来週月曜日の予約なのだが(たぶん次の薬もそのとき)、この前の「リハビリ前診察」で担当医に血圧手帳を渡されたとたん、血圧が下がってきたので(いい意味で)困っている。魔法の血圧手帳か?その人に渡すだけで血圧が下がるという不思議な手帳?ドラえもんの道具じゃあるまいし、そんなわけはない。家での生活、退院してからの2週間あまりで特に変えたところはないのでやはり暖かくなったせいか。腫れ物というか貴重品を扱うように接していた家族が、意外にも(というか想定以上に)元気な私の様子を見て普通(に近い)対応に変わったせいかなとも思う(自分も退院直後は「すぐに再発するのでは」と妙に緊張していたかもしれない)。

黒衣高血圧!?

 やはり退院直後は環境の変化で(自分の家なのに)やや血圧が上がったのかもしれない。逆は聞くが(病院で血圧が上がる人。「白衣高血圧」というらしい)、入院していたときに低い血圧で家で血圧が上がるとは何だと思っていたが、そういうこともあるのか。2月(20日の退院後)と3月では、3月のほうが明らかに血圧が下がっている(ちゃんと統計(と言うほど大げさなものでもないが)を取っている)。

1万歩にはまだ到達していない

 散歩は公園に連れ出してもらっての散歩と、自分で近所を巡る散歩の2回に分けて行っている。考えてみればここに引っ越して十数年、家の前に駐めてある車にすぐ飛び乗ってしまい、歩いて近所を回る機会などほとんどなかったかもしれない。やっと近所に少しだけ詳しくなれたかもしれない。1万歩に達したといつかは書きたいが昨日は8000歩まで。一昨日歩きすぎた(ことはないが今の私にしてはいきなり距離を延ばしすぎた)ため、自重することにした。次は大台を目指したいし、せっかく電車の駅まで歩いているので、そのうち駅から電車に乗って街に出てみよう(小学生レベルの「冒険」のようだが)と思う。

歩行器

 公園を散歩していると(あるいは近所を散歩していると)、同じように歩いている人を見かけて「あの人も私と同じように脳卒中になったのかな」と思うことが増えた (自分が気にしているからだろう)。実際には違う人もいるだろう(ごめんなさい)が、なんとなくそうかなと(そんなにもいないか。いるのかもしれないが)。先日は道路を歩行器のようなものを使って歩いているご老人を見かけて「頑張ってください」と心の中で思うとともに、入院生活が懐かしく思い出された。しかし自分もまた歩行器を使わなければ今ごろ歩けなかったかもしれないのだ。決して他人事ではなかった。

脳幹出血からの帰還24  自宅療養生活(9)

9000歩突破はしたが

 昨日はいつもの公園での約5000歩以外に駅や郵便局まで約4000歩を歩いて合計9000歩を超えた。これくらい歩いても健常な頃は平気だったが、今はへろへろになる。まだまだ体力はないなと思った。また、昨日は某社の2事業所を相次いで突然訪問した(アポをとったらかえって迷惑だろうと思って(邪魔にならないようすぐ帰るつもりだった))が、約四半世紀前とはずいぶん変わった様子に驚いた。構造から違う。後ずさりで帰ろうと思ったら段差でちょっとだけよろけてしまった。入院中も指摘されていたが、脚ではなく「体幹」が弱いせいだろう。なかなか体幹が鍛えられない。長く歩いたときの身体の疲れも脚からではなく身体全体から来る感じだから体感が弱いんだろうなと(自分判断ながら)思う。 

体幹

 そういえば退院前には理学療法士さんに同様のことを指摘されていたっけ。もう歩くこと自体はできるというので脚のリハビリの時間の大半は体幹トレーニングタイムだった。あの頃と比べて体幹が鍛えられているとは・・・まだいえないなあ。家族は退院してから半年・1年の戦いだと思っているようだが、退院時のスケジュールがそうであったように自分ではもっと早い社会復帰を目指している(が、どうなるかな)。半年後にはもう身体を動かしてバリバリ働いているイメージだ(が、そうなるかは分からない)。まあ以前とは違う働き方になるのだろうす(そうでないと周りに心配をかける)が、とりあえずそういう自分をイメージしながら自宅でトレーニングしたい。

入院中のことを雑談

 昨日も食卓で話題になったが、私が早期の「復帰」を夢見て入院中、家族は後処理に大変だった(らしい)。ローテクな老親だから銀行のATMに向かって(後ろに別の客が並んでいないか気にしながら)塾生のご家庭一軒一軒にそれこそ1件1件返金の振り込みをした(らしい)。妹は実家に来るまで「数日文系教科の授業を代打でやってやり過ごすか」と軽く考えていたらしく、私がこの世とあの世の境目を彷徨っているとは思わなかったそうだが、私の病状を知ってからはテキパキと動いたようだ。私のほうはと言えば、そんな周囲の苦労は知る由もなく、朦朧とする中で指折り日付を数え「これで冬期講座が半分終わった」「これで冬期講座が終わってしまった」「学年末テスト対策はできないな」「直前対策講座には間に合うかな」などと考えていたのだった(だから日付のことには敏感だった。仕事の穴が何日できたかという目線だった)。病室では看護師さんやリハビリ担当に毎日、日付を聞かれ「(寝てばかりいる割に)日付を正確に答えられた」と感心されたようだが(実際には時々間違えている。だって窓もないしいつも電灯がついているし、自分は昼夜構わず寝ていた(ようだ)し・・・)、当時の私は左半身を引きずってでも復帰せねばという思いだけは満ちていた(実際にはそんなことができる身体でも頭でもなかったのは前に書いたとおり)。周りに支えながらなんとか長テーブル様のものに就いて、オンラインで語って授業をする、そんな姿が夢にまで出てきたこともある(当然実現はしていない)

脳幹出血からの帰還23  自宅療養生活(8)

懐かしの玉宮地区(というほど行っていない)

 岐阜県独自の宣言(と言うか制限)が先日解除されたというのでニュースで岐阜市内の「繁華街」が紹介されていたが「柳ヶ瀬」ではなく「玉宮地区」だった。昔の人にとっては柳ヶ瀬なのだろうが、我々の世代よりも下にとってはちょっと洒落た居酒屋の並ぶ玉宮地区のほうがなじみがある。数度訪れた店もいくつかあるが、倒れる前からコロナ禍のせいで出かけていない(オンライン飲み会を数回やったかな)。私がこうなって、酒を断って(といっても無理に意識的に断っているわけでないがごく自然にそうなっている)、もう二度と玉宮町界隈に飲みに行くこともないかもしれない(なんて書くとまるで常連みたいだが、そんなにお金も暇も無いからたまにしか行ってなかったよ)。残念だがそれも仕方が無い。

断酒・断酒・断酒ではないが

 今は健康的な生活だ。毎日適量の飯を食い、早く寝て早く起きる。目覚まし時計を使わなくても5時台には目が覚める。中学生以前のような生活だ。考えてみれば大学生の頃からこの業界にはまって夜型の生活になっていたから(思えば大学生の頃は大変だったな、若いからできた)、今の生活は10代の頃以来だ。体重がじりじりと増加しているようにも思えるが体脂肪率が減少(本当かな)。とうとう15%台をつけ出した。何度測り直しても同じような値を出すから、機械的にはそうなのだろう(本当かな)。別にダイエットを目的に生活しているのではなく、結果として血圧が上がらなければよく、入院生活で結果的に肉(必要な筋肉まで)が削ぎ落とされてダイエットした状態になっている(それはそうだろう。特に前半は満足な食事をとっていなかったのだから)だけなので、それほどは気にしていない(その割には毎日、ヘルスメーターにはのっているのだが)。

落ち着きつつある血圧

 退院して自宅生活になったすぐは懸案事項だった血圧も、ここしばらくは130~140台を安定してたたき出し、たまに120、110台も出るようになった。家に帰ってすぐは170とか160もたまに出していたから(家族は慌てた)、なぜか分からないがいい傾向だ。そもそも入院時には普通に130台を出していたのだから不思議だ(たまに150、160台もあったが)。といってもいずれも薬を飲んでいる結果なんだが。家での生活に慣れたせいか、単に暖かくなっただけか。なぜだろう。

脳幹出血からの帰還20  自宅療養生活(7)

長い発表待ち

 それにしても長い発表待ちだなと岐阜県の(全員とは言わないが一部の)高校受験生は思っているかもしれない。部活動その他でやることがある(もう高校側の部活動に誘われて練習している子もいるだろう)子はいいが、そうでない子たちはこの2週間以上の宙ぶらりん期間をどう過ごしているだろうか。

 自分が大学生になろうかという遠い昔、国公立大学入試は前後期日程とAB日程が混じっている過渡期で、自分の学部はA日程をとっていたため発表までが遅く、2/25が入試日にもかかわらず(前期日程と同じだ)3/20過ぎに発表(つまり後期日程と同じだ)という今から思うととてつもなく長い期間待たされた。1か月も待ったのだった。まあ自分にとっては本命でもなかったが(と言って結果的にそこに入学・卒業するのだが)、その結果次第で次の動きが決まる日でもあったから、待たされる日々は嫌だった。

 毎日が暇で、それでいて落ち着かなく、妹の持っていた少女漫画を全巻読み通したりもした(それまで少女漫画どころか漫画をほとんど読んだことがなかったから新鮮な体験だった)。今から思うとこんなに期間があるなら自動車学校にでも通えたかなと思う(当時は自動車を運転することに興味・関心が無かった)。実際に免許を取るのは大学2年の冬。バイトで移動があり田舎での車の必要性を痛感してからだ。

期限の定まらない「休み」

 毎年この時期は中学3年生と高校生たちが休みという奇妙な期間だが、今年は私自身も「休み」という実に奇妙な期間を過ごしている。「休み」をこんなに長くいただいているのはそれこそ前の会社を辞めて個人事業主になる約四半世紀前以来であるから過ごし方が思い出せない。その前の宙ぶらりん期間もどうやって過ごしていただろう。遠い昔のことで(病気の後遺症でとかじゃないよ)思い出せないなあ…。いつまでが「休み」と決まっていない点では落ち着かない期間でもある。「所属がない」のは働いている間も一緒だったのだが(自営業だから)。 

ローカル線の駅

 車の運転ができるのは順調に手続きが進んでも来月以降だろうから(先日の記事参照)、それまではこのローカル線のお世話になるときがあるだろうなと思いながら、近所の駅まで散歩した。健常な頃は酒を飲むときだけお世話になったこの鉄道。これからもそういうときしか乗らないだろう、高齢者になってもまだ廃線になっていなければ日常的にお世話になる日も来るかなと思っていたが、まさか自分がこうなるとは思いもよらなかった。公共交通機関は大事だ(今さら…)。

 退院してすぐは階段の上り下りは不安があった(手すりのない階段は上下できないかもなあという感じだった)が、今なら手すりもいらない気がする。家の階段も手すりを使っていない。念のため触れるようには構えているが。まあ近くの駅には階段はないんだけど、階段があるような街に出かけるとしてという話だ…と書いたが、今どき階段を上らせるような場所は(敢えてそれを選択しなければ)それほど街には無かったかもしれない。それくらい、エレベーターやエスカレーターが充実している。バリアフリー・ユニバーサルデザインの世界だ。この前歩いた堤防の土手には手すりも何もない階段があって、それを避けて歩いたが・・・ああいうのは屋外にしか無いかもしれない。

脳幹出血からの帰還19  自宅療養生活(6)

体重と体脂肪率と血圧

 72kgから74kgで保たれていた体重が昨日74kgを超えた。気をつけなければいけないが、体脂肪率は逆に下がっていて何度測っても15%台をつけているから、連日の散歩その他のトレーニングで筋肉がついたと思うことにする。そもそも入院中は左を中心に筋肉もだいぶん落ちてしまったのだ。がりがりの手足に驚いたのは1月中旬だったか(それまでは自分で自分をチェックする余裕もなかった)。それを回復しなければならない。やや楽観的なのは血圧が上がっているわけでなくむしろ下がっている傾向だ(落ち着いている)からだ。ようやく病院内での通常の数値に近づいてきた感じだ(院内でも高めのときは時々あったが)。なぜ帰宅直後は高かったか、そしてなぜ下がってきたかの原因は不明。

散歩

 昨日は暖かい日だったので、夕方、近所の銀行支店まで歩いてみた。久しぶりの道だ(健常な頃は駅までたまに歩いた)。信号も無事通過できた(当たり前)。ただ距離にしたら3000歩もないので往復2kmぐらいか。それでも午前中のトレーニングの散歩とあわせたら7000歩は超えた。やっと病院内での一日記録(6000歩ぐらい)を抜けた。外歩きと中歩きは違うとは言え、ここまで長かった。次は1万歩を目指したい。速さも5km/h出したい。出せれば通常だろう。今日は近所の駅まで歩いてみることに挑戦。これが挑戦になってしまう自分が情けないが、病み上がりの身、仕方が無い。駅で電車に乗れば(今日は乗っていないが)病院の外来も乗せてもらわず自分で行けることになる(車がなくても電車で行ける)。