「3.勉強」カテゴリーアーカイブ

【勉強法】目標をもつということ

 子どもの頃抱いた夢や目標には、大人からすると「実現は難しいんじゃないか」「それで悠々と暮らしていけるのか」と思えるものもあります。が、その夢や目標はそのまま大事にしてほしいと考えます。

 「宇宙飛行士になりたい」「ユーチューバーになりたい」「サッカー選手になりたい」「医者になりたい」目標はさまざまでしょう。実現のために勉強が必要なもの、一見すると勉強はあまり必要なさそうに見えるものなど、いろいろです。勉強が必要そうに見えるものなら、それをモチベーションに勉強を頑張ることができますし、たとえそれが叶わなくても(叶わない人のほうが多い仕事もあるでしょうが)勉強したことは残りますから、何らかの役に立つでしょう。一見、勉強とは関係ないものでも、そうでもありません。スポーツをするのに頭脳が必要ないということは、今やほとんどのスポーツで無いと言ってもいいでしょう。また、たとえプロになっても多くのスポーツ選手の寿命は短く「セカンドキャリア」が問題になります。そのためにも勉強は必要です。

 一番困るのは目標がない子です。「将来のために勉強しましょう」といわれても将来像もないのですからピンときません。目標は(実現可能性云々をそろばん勘定せず)早めに設定しましょう。あまり早めなら変遷してもいいでしょう。将来について考える、目標を持とうとする作業自体に意味があります。

 それが実現するかどうかはどうでもいい。勉強することと将来を考えること自体が、子どもたちの糧になります。私自身、小さい頃のいくつかの夢の中に「塾講師」とか「塾経営」というものは入っていませんでした(塾に通っていないのですから出てきませんよね。塾がどういうところで何をするのかもこの業界に入ってから知りました)し、私が子どもの頃はそもそも塾講師というものが専業の商売として世間ではあまり認知されていない(学生のアルバイトか何かの仕事の片手間でやるものという認識だった)状態でした。

 私は言ってみれば将来の目標を一つも実現できなかった「敗者」ですが、目標があったからこそ、堕落したときの自分、落ち込んだときの自分に自ら活を入れることもできました。凡人ですので夢や目標がなければ堕落したまま、落ち込んだまま、横道に逸れたままになってしまったかもしれません。多くの凡人にとって目標がないままに自己を律するのは大変な作業だと思いますし、天才は知りませんが調子のいいときもあれば横道に逸れるときも調子が悪いときもあるでしょう。いろんな意味で駄目なときに軌道修正できるのは、周りの影響もあるでしょうが最後は本人です。目標があれば、将来像があれば、軌道修正もできるのだと思います。

  

【勉強法】授業に集中するということ

授業に集中すれば・・・

 この仕事をしていると、学校であれ、塾であれ、もっと授業に集中すれば、こんなに成績で困ることもないのに・・・という例が少なくありません。

 私自身振り返っても、小学校高学年~高校の授業では他人よりもかなり集中していた方だと思います。おかげで中学校での勉強には困りませんでした。家での勉強は中学生のうちはそんなにたくさんはしていません(家庭学習の習慣がついてなかったために、高校に入ってから苦労することになるんですね、だからこれは余りというか全く自慢話にはなりません)

まずは集中を

 勉強ができないけどできるようになりたいという気持ちがある子は、まず学校の授業に集中しましょう。塾に通っている子は塾の授業にも集中しましょう。私が塾をやっていて一番気を遣ったのは、その瞬間みんな集中しているかということです。一人でも集中していない生徒が目につくと大変気になりました。あて続けたり、手も挙げていないのに指名したりして集中させましたが。

ノートは記録するためのものではない

 授業に集中するための手段として、10代の私はノートをとることに必死になりました。ノートは見返すためにあるのではなく(時々見返すことはありますが)、その場で集中するためにとるものだという感覚です。

聞いているだけではぼーっとしてしまう

 ただ「集中しよう」と思って授業を聞いていても、ぼーっとして右から左へ抜けてしまうのは当然です。私もノートをとっていないとよくぼーっとして右から左へと抜けてしまいました。聞いたことをメモしようとすると自然と必死になります。こういうとき、黒板に書いてあることを散発的に書くのがノートではないのです。そんなのは当たり前。聞いただけのこともたくさん書きました。上級編としてはそれを自分なりにその場で整理できるといいですね。

超天才なら

 だから、古典的なことなんですが塾ではノートをとることに厳しかったわけです。授業中、書くものを常に手にとっていない子(すぐ机に鉛筆を置いてしまうような子)がいると、気になって仕方がありませんでした。書くものを置いてしまうと言われたことをすぐにはノートにとれません。授業に集中していない可能性があるからです(例外もありますが)。よく言っていましたが、よほどの天才はじっと聞くだけでも集中できるようです。実際、高校のいくつか上の先輩の超天才は授業中じっと前を向いて話を聞くだけだったそうで、先生のほうが怖いくらいだったそうです。私は盆栽じゃなくて凡才でしたから、それでは集中できないなと思いました。

「大事だと思うところ」は分からない

 よく「大事だと思うところはメモをしましょう」と言いますが、どこが大事か分かっていれば勉強なんてする必要がないんです。私は雑談・冗談も含め、ほぼありとあらゆることをとりあえず書くことから始めました。それは記録を残すためでなく(記録は残りますが)、集中するため。自分で大事ではないと捨てていた内容に大事なことが入っていることがあります。上級編としては「大事ではない」ことに「大事なこと」を見いだせる人が勉強の達人なんだろうなと思います(本当にどうしようもなくつまらないならそこから得られる教訓でもいいので)

【勉強法】予習は軽く、復習は重く

 授業の予習・復習、どっちが大事だという議論になることがあります。時間があるなら両方やったほうがいいんですが、敢えてどちらをとるかと言われたら私は復習派ですね。

 なぜなら、予習にはエネルギーがいるからです。同じ時間で効率よく勉強できるのは復習です。ただし、授業を受けるのに予習が前提・必須になっている教科は、やらなければ当然、授業そのものに意味がなくなりますから、必ずやりましょう。大事なことは授業を生かすこと。新しいことを学ぶのですから分からないことはあって当然です。予習は完璧にしていく必要はないのです。完璧に勉強したい人は予習には向いていないんですが、予習したがる子ほど完璧に勉強したがるんですよね。結果として予習が「非効率」になってしまう。予習というのは全体像を知り疑問点をあぶり出す程度で深追いしないでおきましょう。授業中にその疑問点が出てきたら集中のギアを上げて解決しましょう。

 ・・・とは書いたものの、実際にきちんと全教科の予習をこなして授業を受ける中学生がどれだけいるのかというと…。私自身、子どもの頃を振り返っても課題として言われた予習以外を自主的にやった記憶はほとんどありません。現実にはまず授業に集中、そして復習をきちんとしましょうということになるのです、実際の中学生を見ていると。予習はその授業で集中するための手段で一番最後、余裕のある生徒・成績のよい生徒向きです。余裕のない生徒はまず自分の生活を見つめ直して普段の授業に集中できているか、宿題をちゃんとやっているか、見つめ直しましょう。その上で、もしワークをまとめて提出前にやっているなら、それを提出前でなく分散できないか(習った直後に取り組めばそれが日常の復習になりますね)、何回やったか、もちろん繰り返すのは大事ですが、意味も分からず答えを暗記して繰り返しても勉強になりません、そういう見直しをしましょう。

 それで本題の「予習」についてですが、予習で全部分かろうとはせず、できるだけ軽めにしましょう。先ほども書きましたが授業が基本です。授業の前には分からないところを残してもいいのです、整理して授業で解決すれば。予習で挫折する人はいろいろですが、

1.予習を語る以前に復習から、授業に集中することからきちんとやったほうがいいタイプ

2.予習を完璧にしようとして失敗するタイプ

があるように思います。特に2のタイプは要注意です。2のタイプが先ほど書いた「予習に時間をかけすぎて勉強の効率が悪くなっている」タイプです。そもそも予習というのは、やったほうがいいものだと言っても、ある程度できる人の技です。勉強が今あまり得意でない子が先に取り組むべき課題ではありません。自分で予習して全部あるいは大部分が分かるなら授業そのものが必要なくなります。そういう子もいますが、自分で勉強できる、勉強に積極的な子が予習向きです。勉強はあまりしたくない、勉強に消極的な子は復習しましょう。

 ・・・と言うのがあくまでも私個人の意見です。勉強法は千差万別、自分に合ったものが一番ですね。

東京一工

東京一工?

 東京大、京都大、一橋大、東京工業大の4校をまとめてこう呼ぶ(ちなみに先に書いたとおりこの春、京大合格者が出たので、これまでの塾の卒業生で(大学受験は教えているわけではないが)東大、京大、東工大に進んだ生徒は確認しているが、一橋だけいない。いたら教えて?この辺りの高校から一橋に行く生徒自体がレアな存在だろうが、それを言ったら東工大も同じかそれ以上にレアだからなあ)。超難関国立大学という位置づけだろう。私たちが大学受験するときにはこういう呼称はなかった気がする。他方、「旧帝大」とか「旧帝」というのは今でも七大戦等体育会系で交流があるようだが、北海道大、東北大、東京大、名古屋大、京都大、大阪大、九州大をまとめた呼び方でその名の通り(日本国内に残存する)旧帝国大学をまとめているのだが、いわゆる受験での「レベル」には結構な差があるから大学の「ランク」的な意味での括り方には無理があるようにも思う。国公立大学でいえばほかにも「筑横千首」(筑波大、横浜国立大、千葉大、首都大学東京(=東京都立大学))とか「金岡千広」(金沢大、岡山大、千葉大、広島大)というのもあるそうだが、私の頃はそういう括り方はなかった(と思う)。

括り方

 GMARCHというと学習院大、明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大をまとめた呼称だが、いつの間にかGがついていて驚いたのはこの業界に入ってからだいぶん経ってからのことだ。私の頃は(もう遠い昔だが)MARCHと言われ出したころだ。関東の私立難関大と言えば「早慶上智」と私たちの頃は呼んでいたが、これに東京理科大を加えた「早慶上理」なんていうのも最近では定着しつつあるそうだ。関関同立は昔から変わらず関関同立のようだが(いうまでもなく京阪神地方にある関西学院大、関西大、同志社大、立命館大をまとめた呼び方)、それに対抗してなのか?愛知県の私大で「愛愛名中」なんていうのも最近ではあるそうだ。愛知、愛知学院、名城、中京の4大学。私のころ、愛知県内の私立大学のそういう括り方といえばSSK(椙山・愛知淑徳・金城学院の3女子大。愛知淑徳はその後共学化した)ぐらいしかなかった気がする。

大学の序列?

 そんなことを書いたのは、ここで大学の序列について語りたいのではない。そもそも大学の序列というのは世間からのおおざっぱな「見た目」(おもに文系学部目線)で大学受験では実に意味がない。たとえば「名古屋大学」「岐阜大学」と大学名で語っても、医学部医学科は別世界だ。名大医学部医学科に合格できるような成績なら東大だって(理科三類でなければ)受かるだろう。医学部医学科は極端な例だが、他の学部・学科でも難易度はいろいろだ。

 じゃあなぜそんなことを書くのかという話になるが、進学校に進んだ子たちは高校に入った段階でそういう大学入試の話題に触れてほしいし、情報を入れてほしいと思うからだ。

大学受験は情報戦・戦術戦

 大学受験は情報戦・戦術戦の面もある。もちろん敵の試合を偵察して・・・とかではない。大学や大学受験を「偵察」するのだ。みんなが同じ5教科の同じ問題に取り組む公立高校受験とは全然違う。高1から「大学の受け方」を熟知してそれに沿った対策を進めて成功する者もいれば、まじめにやっていればいいと情報や戦術について考えてこなかったものが路頭に迷うこともある。高校側もだから進路について1年生から様々情報を提供しているだろうが、志望校・志望学科も多種多様、さらに選抜のされ方もいろいろある大学受験では、結局受験する一人ひとりが考え、戦術を持っていなければならない。十把一絡げにはできないのだ。公立高校受験とは全く違う世界だ。主体的に情報を集め、戦術を考えてほしい。

兄・姉がいると有利?

 兄・姉がいる子のほうが有利だなと思うのはその点だ。最初に述べたように親世代とは大学受験の常識もだいぶん変わっているが、兄・姉なら(よほど年が離れていない限り)話が通じる。私自身、兄・姉もおらず親も大学受験を経験していないので全く情報がないところからスタートした。そのぶん(?)、妹にはたくさん情報を提供できたはずなので、妹は高校生活でも力の入れどころ、手の抜きどころを知って、だいぶん得をしたと思う。

大学受験で笑うために

 大学受験に関する知識で頭をいっぱいにする必要もないが(たまに受験情報にだけやたら詳しい大学入試情報オタクのような子もいるが)、大学受験は公立高校受験とは戦術面でも全く違うということ、情報を知っていないと真面目に日々の勉強に取り組んでいるだけでは損をすることは頭に入れてほしい。勉強をまじめにやるのが基本なのは当然だが。

【勉強法】繰り返しやるということ

繰り返すこと

 なかなかできませんね。特に中学生は同じものをやっても仕方ないと新しいものに飛びつきやすいです。新しいものに取り組んだほうが楽しいというかやった気になるのかもしれません。目の前のワークや問題集は完璧でしょうか。本屋さん(に今どき行く人も少なくなっているのか)に行くと様々な問題集や参考書が並んでいますが、それらを手にとる前に、目の前のものから繰り返しやりましょう。

数学を「繰り返す」

 私自身、繰り返してやることの意味は高校生になって知った気もします。高校に入って早速、夏までに「落ちこぼれ」になってしまいました。「大丈夫だろう」と思って高校に入ってから勉強をサボっていたら、たちまち点数が急降下。これではいけないと夏休みに出された数学の宿題(学校で買ったチャート式という参考書・問題集から出ていた。今ならフォーカスゴールドとかがメジャーなのかな。チャート式、まだ出版はされているようだけど)を3~4回繰り返してやりました。

答えを見て考える

 あまりウンウン考えず(分からないからできないのですから)、できないものは答えを見てからその過程を考えました。答えとその解説から「学んだ」というほうが正解でしょうか。答えをただ鵜呑みにするのではなく、どうしてそういう答えになるか、納得するまで(そこには「解くこと」そのものよりも時間をかけました)読んで、その上で答えを書きました。分からなければ答えを見ながら。できれば一度だけ見た答えをもとに。そして後日もう一度解きます。全く分からなかった問題は、納得したと自分で思っていても答えを写したようなものですから、やはりできません。もう一度答えと向き合ってよく考え、納得します。いっぽう、ある程度分かっていた問題なら、ここですらすらとできるでしょう。最初から分かっていた問題も。ここで大事なことは「分かったつもり」にならないこと。少しでも答えに詰まったら「分からなかったもの」としてチェックしておくんです。勉強はそういう自分との戦いかもしれません。

分かったつもりにならない

 「少しミスしただけ」「ちょっと間違えただけ」「あとちょっとでできた」「分かっていた」はNGです。そういう自分に対する甘さをなくしましょう。あとちょっとだろうが何だろうができなかったものは「分からなかった」ものとしてカウントしましょう。「できなかった」ものとしてきちんと向き合いましょう。そしてさらにもう一度やるのです。たいていそれで、できるようになりますが、そこで終わったら駄目。そこで初めてできた問題だけは、さらにもう一度やりましょう。たぶんできますが、もし解けなかったら時間をおいてもう一度。それですらすら詰まらずできて初めて、その問題集をやり尽くしたことになるのです。そこまで使いこなしてそのワークや問題集は終わりです。

1つのものをやり尽くす

 高校生の皆さんもよく覚えておいてください。1つのよいものをそうやってやり尽くしてください。目新しいものに次々と心を奪われている間は負けです。勉強に行き詰まって本屋の棚を眺めていたら負け(今ならAmazonで参考書や問題集をググっていたら負けというところかな)中学生の皆さんも最近は5教科で「学校のワーク」があります。まずはそれを上で書いたようにやり尽くしましょう。その上で時間が余っているなら別のものに手をつけてもいいでしょう。学校のワークは薄いですから。普通の成績の子には、そこまでであまり時間はないと思いますが。