賢学塾は1997年7月1日に誕生して満24歳となりました。昨年末以来のことを考えると、この日をこうして迎えられたこと自体が奇跡。あの世に行きそうなところから帰ってきました。
ご迷惑をおかけした皆さん、申し訳ございませんでした。心配してくださった皆さん、気にかけていただいた皆さん、本当にありがとうございました。来年は25周年か。四半世紀と書くと長いような途方もないような…今までの卒業生たち、塾生たち、そしてそのご家庭のみなさまに感謝です。特にこの春全員揃って私を励ましてくれた今春中学卒業の第24期生の皆さん、本当にありがとう。今あるのも皆さんのおかげです。

開校当初中学生だった皆さんはもう30代後半なんですね。そう考えると自分も歳をとったんだなと改めて。普段はそんなことを全く考えませんが。隣の不動産屋さんとほぼ同時にここに建ったこの塾。道路の向かいは当時から和菓子屋さんでしたが、南隣は当時空き地でした。その後、今とは違って「石材商社」がやって来るんですが。さらにその南隣、信号角の時計屋さんは当時からありました。

個人的にはそういった開業当時の風景にあった斜めの焼き肉屋さんが更地になってしまったことが今年前半のニュースというか事件の一つでしたね。退院してこの世界に戻ってきていきなり見た景色でした。知らない人のほうが今や多いのでしょうが、24年前、この塾ができたときから焼き肉屋さんはあったんですよ。今、この通りに並ぶ各キャリアの携帯電話の店はまだ1軒もありませんでしたが。その後、狂牛病の嵐も乗り越えてやって来られたのに、コロナ禍には耐えられなかったのでしょうか。事情は知りませんが24年前にここに来たとき、既にあった風景がまた一つ消えて寂しい限りです。

「24年前にここに来た」と書きましたが、実は私自身の生まれが「大垣市福田町」なので「来た」というよりも、幼少の頃、過ごしたまちに「戻ってきた」「帰ってきた」という感覚が当時は強かったですね。小学校1年生まで宇留生小に通っていました。当時住んでいた家は今や高速道路の下になってしまいましたが。あの頃「国道(当時はバイパスと呼んでいた)の向こうにこんもりした森(神社)があるなあ」と思って家の窓からぼんやり眺めていた辺りに私は大人になってから塾を建てたのですから、人生がどうつながるかは分からないものです。思えば当時は周りが田んぼばかりだったから見渡せたんですね。今でこそ、世知辛い世情からでしょうか「貸店舗」と看板が掲げられた空きテナントがそこかしこにありますが、24年前には塾にできるような貸店舗はあまりありませんでした。そう考えると24年前は今よりは景気がよかったということでしょうか。あの当時もバブル経済の後始末が尾を引いて結構大変だった記憶がありますが。それはさておき、開業するに適した場所がなかなか見つからないというので、この土地を買って建物を建て、開業することになりました。最初は1階の母屋だけ。後に2階の教室を付け足すのでこの構造に。

おかげさまで開校当初から生徒さんには恵まれていました。今見ても開校当時の広告は拙さと手作り感満載で顔から火が出そうですが、それが逆によかったのかもしれません。途中、隣の「石材会社」はできてすぐに合理化とやらで撤退してそこに京都から大手の塾が入り(今とは違う塾)、また去って行きました。今、電器屋さんになっている信号の角はもともと工具店だったのですが、それもなくなり、その建物がリフォームされて今の電器屋さんになりました。あそこが空き家だったとき、ある市議会議員の選挙事務所として使われていたこともあったかな。近所のスーパーは「ヤナゲン」だったのが「平和堂」になりました。近くのマンションは後から建ちました。さっきも書いたように携帯電話各社の店が並んだのも後からです。当時からこの通りで営業している塾はもちろんウチだけですが、塾を除いてもこれだけ景色が変化しました。こう羅列してみてようやく24年間というものの重みが実感できました。

授業で「私が倒れない限りこの塾は続く」と昔から言っていましたが、昨年末、本当に倒れてしまいました。幸いなことに今、倒れても続けることができています。いろいろな皆さんのおかげです。この幸せをかみしめつつ、来年の25周年へ、そしてその先へと歩みを進めていきます。