古戦場跡とテスト対策と

学校で中1・2(現中2・3)が3学期の期末テストをやっていた頃はまだ病院の中だった。回復期リハビリ病棟で退院はまだかなと(現実を伴って)考えていた頃だ(自分の身体の現実を伴わない退院願望は1月中旬にあった。あの頃は急性期病室の環境に絶望して早く脱出したいと思ったのだ。その後、同じ急性期でもマシな病室環境に変わって気持ちが落ち着いたが)。3学期の(中1・2)「期末テスト対策」の時期というと回復期病棟内を必死に歩いていた頃だ。あんまり必死に病棟内を歩いているという報告が上がったせいか、担当医から特別な許可が出て病院の建物外に出て敷地内を少し歩いたりもした(コロナ禍のため入院患者を外に連れ出すことは御法度だったようだ。普段担当でない理学療法士が驚いていたが「ドクター指示」の一言で納得していた。コロナ禍前はそういう機会もあったそうだが)

本文とは全く関係が無いが、先日訪れた古戦場跡だ。小学生のときから何度も来ているから周辺の事情もよく分かる。が、「陣場野」と呼ばれるこの陣地跡もだいぶん雰囲気が変わった印象。コロナ禍が無ければもっと観光地として売り出せたのだろうか。
一番変わったと言えばこれだろう。この施設はまだできたばかりのはず。中には入っていない。またコロナ禍が収まったらゆっくり中も見よう。

外を歩くというその日がちょうど寒い日にあたって、暖かい病棟内(冬でも昼夜問わず24~25度はあったようだ)の生活に慣れていた私には少しの時間だが寒さが身に凍みた覚えがある。と同時に、担当医も語っていたが病棟内の平らな廊下とアスファルトや芝生が広がる外では歩く感覚もだいぶん違った覚えがある。その後の退院生活のためにもいい経験だった。退院してすぐはジョギングコースなどばかりを歩き、公道など凸凹道はなるべく避けていたかな。しばらくして公道を歩くようになり、今はまた、凸凹を避けているのではないが、公園中心の散歩だ。

関係ないシリーズでこれまた先日訪れた古戦場の決戦地の碑、高校の「日本史」で習う陸軍大将 宇垣一成が揮毫したことは以前から知っていたが(つまり建立が戦前)この日もまた見たのでパチリ。

そういうわけで、「テスト対策」というのが久しぶりだ。去年11月の2学期期末テスト対策以来となる。テスト対策をやると「ああ、塾の現場に戻ってきたんだな」と改めて実感する。今来ている子たちもよく頑張っているから、とてもやりがいがある。ありがたいことだ。この塾を開いて20年以上になるが、こういうことには恵まれ続けたといってよい。いい子たちだ。この春、高校にうかった子たちは、ありがたくも彼ら彼女ら自身が企画して集まってくれた。今思い出しても泣けてくる。高校でも定期考査の時期のようだ。元気にやっているだろうか。

これも関係が無いが敗軍の将の陣地。人気スポットでこの町が一望出来る。逆にこんないい場所に陣取って負けたのね…。

世間を見ると岐阜県の新型コロナウイルス感染者数が下げ止まりなのだろうか、以前なら多いと思われていた水準に「下がった」ところで止まっているようだ。秋には学校でもさまざまな行事が予定されている。夏には最後の部活の大会もある。それまでにはこのコロナ禍が収まっているといいが。