脳幹出血(脳卒中)からの復活を目指して6

一区切り

 昨日の合格発表で一区切りがついた気がして、昨晩、もう更新していないアドレスのwww.kengakujuku.comのほうをいったん「閉店」した。「塾の公式ブログ」だと対外的にも宣伝しているアドレスだったが、いつまでも更新せずに放置しておくのはよろしくないという判断だ。アドレスが変わっただけでブログそのものはあるから、場合によってはまだアクセスできるかもしれない。ネット上で反映されるのには時間がかかるようだ。というわけで、あちらのアドレスにはアクセスしても無駄足だと言うことは、ここの読者(この場末のサイトにそんな方がいるのかな)の皆さんだけにでも周知したい。

懐かしのパソコン通信時代からの・・・

 塾を開業した1997年から始めた、わけではないが(当時はインターネット黎明期。懐かしく今の人は知らないだろう「パソコン通信」というものが残存していた時代だ。通信速度も今よりずっと遅かった)、結構昔から書いていたブログ(10年以上にはなる)、かつて存在した「特色化選抜」の廃止をめぐる動きなど、過去の高校入試関連の動きもチェックできる。過去の動きもチェックできるが故にどうしようか迷った(今の情報が知りたい人にも検索で引っかかってしまう。一つ一つの記事に「これは過去記事です」と注釈を打つのも面倒だ)のだった。すっかり使い勝手が悪くなった@nifty(途中、大改変で混乱もあった。運営会社の経営が変わったせいかドタバタしていた。運営会社の経営が変わるくらいだから、変わる前からやる気が感じられなかったが。それでも使っていたのはパソコン通信時代からのつきあいだからだった)からは移動させる準備をしているが、消去することはないのでご安心(?)を。移動させるときはこの場で告知する。アドレスそのものも私の手元にあるが、この先、あのアドレスをどう使うかも含めてまだ決めていない。現段階では先のことは何も語れない。今はまず社会復帰できる身体を作らねばならない。

入院時の延長戦

 一昨日が退院後4週間目にして1か月目だというのは書いたが、やはり社会復帰を果たしてからが、本当の「退院」かもしれない。現状はまだ入院生活の延長戦のようなものだ。実際、1か月前の周りは、「3月・4月はまだ入院しているだろう」という想定のもと動いていたわけだし。周りだけではない。私自身も当初は「入試後・発表前」の退院を目指していたのだから、この時期ようやく退院している予定だったはずだ(病院で急性期に担当してくれた作業療法士さんが私の2月退院に驚いていたことは前にも書いた)。焦ってはいけないとは分かっている(まだ発症3か月だ。普通は復帰まで1年ぐらいかかるという病で)が、退院までが自分でも想定外にスムーズだったため、この先もそういくことを願ってしまう。やはり社会の中で生きてこそ人間だ。

散歩なしからの散歩あり

 昨日は雨だったので「散歩なし」のつもりだったが、夕方になり雨が上がったように見え、電話連絡も一段落したように思われ、ドラゴンズも昨日と違って大差勝ちしそうだったので外に出た。といっても、いつ降るか分からない天候だったので近くの郵便局まで。郵便物を頼まれたのでその投函ついでに。

空を信じて大回り

 ・・・と思ったが空を信じて大回りして駅や神社のほうまで。この道は三十年近く前にバイト塾講師だった私が通った道でもある(当時は車も車の免許も持っていなかったのだ)。懐かしい。当時は後にこの町に自分が住むことになるとは思いもよらなかったが。

信じるものは・・・

 家に近づいた段階で、その「信じていた」空から雨がぽつぽつと。傘を持っていって助かった。傘を差しての帰宅となった。合計4500歩ほど。速さは4.8km/h。最近の1日1万歩ぐらいのペースを考えるとずいぶん少ないが、もとは雨で0歩のはずだったので、こういう日があってもよいか。病人身分でなければお出かけでもしてショッピングモールか街のアーケード街でも歩くのだが。あまり運動していないので体重が体脂肪がと気になったが、その心配とは逆に体重も体脂肪率も下がっていた。昨日までの貯金だろうか。何度測っても体脂肪率は15%だった。こんな数字は見たことがない。額面通り受け取って喜んでおく。