脳幹出血(脳卒中)からの復活を目指して18

SMS

 昨日、一昨日のメールに対しておめでとうメール(SMS)を卒業生に送ったところ、さっそく返事をもらう。返事を書いていたときにふと思ったが、誰かに聞いたのだろうか塾というか私のSMS専用番号(というのは音声通話のないデータ通信専用SIMなので、電話をかけてももらっても無駄になる番号)がよく分かったなと。この番号は最近在籍した子しか知らないはずだが・・・。別に秘密の番号というわけでもないので、まあいいか。そもそも私はSMSのほうが好きだ。メールでは一生懸命書いても相手に届いたかどうか分からないし(実際、某有名スマホというかもう以前に書いているがiPhoneにPCメールを送るとエラーメッセージもなく届かないことがあったし)、LINEでは既読かどうかも分かるが、私には「分かりすぎる」感じがする(昭和な感覚)。相手に届いていることが分かれば私はいい場合が多いので(読んでもらったかどうか分かったほうがいい連絡もあるが、結局それはそれで不安になりそう)、それが分かるSMSは便利だと思う。携帯各社が1通送信3円とかけちくさいことを言わず(通信量に含まれてしまうLINEなら人々はまるで無料のような感覚で使っているのだろう)、いっそ送受信無料にしてしまったらもっといいのにと思う(契約に無料通話分がある人にとっては今でも無料のような感覚だろうが。SMSは通話料に含まれるはず)

歩数抑制策

 「一日の外出歩数を抑制しよう」というので昨日も午前中はどこにも出かけなかった。

スーツと革靴

 午後からはスーツに着替え、革靴を履いて家を出る。いつまでもジャージ姿・運動靴では病人候だ。退院して1か月以上が経ち、月が変わったのだからそろそろ格好も現実社会に戻していかないと(ここまでスーツを着る機会も数回あったが)

行き先未定のまま電車に

 最寄り駅から電車に乗る。駅の切符自販機が故障しているようだったので、乗車証明の紙を手にする(着いた先で精算)。この段階では行き先は昨日も未定だった。

 

通過

 街に出る。この段階では行き先が決まった。とりあえず今日はこの街で終わりではない。通過。

車窓

 久しぶりのJR。12月に乗って以来だろうか。そう考えるとそう経っていないのだが、「濃い数か月」を過ごしたせいか、ずいぶん経っている気がする。車窓の景色に変化がないか、初めて飛行機に乗ったときのように窓に釘付けになったが、そこに優しく声をかけてくれる客室乗務員は当然いない。

高山線

 岐阜駅に着く。ここで名鉄線に乗り換えるつもりだったが、目の前に高山線の列車が止まっていたので階段を下りてホームを替えて、それに乗ることにする(ほうが実際早く目的地に着いた)

各務原市那加

 各務原市・那加・・・母方の実家があったところである。変わらない駅前(半年ぐらいで大変化があっても困るが)

名所

 いわゆる桜の名所・新境川堤まで歩く。

散る桜

 ここ。だいぶん散ったかな。川には花びらがいっぱい。

川面

 ごみじゃありません。花びらです。

危ない

 高山線の下。ここは腰をかがめないと頭を打つ。

くぐり抜けると

 ガードをくぐり抜けた先には見晴らしようだろう歩行者専用の橋が架かっている。

 いつもの橋に来て。

有名な風景

 その橋から南に向かって。この光景がよくいろいろなところに掲載されているが、これを撮ってもやはりもう相当散った後だなと感じた。手前が高山本線、向こうが名鉄各務原線。列車が通っていると絵になる。

コロナ禍の中、那加で花見

 今年は通りに屋台が並んでいないし、宴会も宴会の場所取りもなかった。当たり前か。いつもならこの河川敷は昼間から宴会をしている人たちや夜の宴会の場所取りシートで埋まっていて、屋台もあるしでかなり音も匂いもかなり賑やかになるところだ。今年は静かな花見。

桜の名所100選

 「全国さくらの名所100選」なるものがあることを初めて知った。市川百十郎さん、ありがとう。私もそう思われるよう、どこかで桜でも植える仕事をするか。昔、名古屋ー金沢のバスの乗務員さんだったかがバス路線の道路に桜を植えた話があったっけ。

葉桜

 中学校横はもう葉桜のフェーズに入っているという感じだ。

岐阜大学・農学部跡

 各務原西高校の前。知る人ぞ知る、この高校はかつての旧制農学校の名残で岐阜大学・農学部があった敷地に立っている(市民公園・学びの森や中部学院大学その他も岐大農学部の跡地だ。言うまでもなく現在地(岐阜市柳戸)に全学部が集約移転する前の遠い昔)。馬術の訓練場があったらしく、馬に乗る人をよく見かけた、かっこよかったと老母は言う(が私は当然見ていない。センター試験を柳戸のキャンパスで受けたくらいだ)

芝桜?

 路傍に芝桜?だろうか。ガードレールが邪魔だが、ぱちり。

名鉄新那加駅

 昨今ネーミングライツで名前が変わったらしい市民体育館の横を通り、名鉄新那加駅へ。今は地下にある駅舎(有人駅)+地上のホームという経緯を知らないと意味不明な作りだが、私が幼い頃は地上に名鉄ストアー(→名鉄パレ→パレマルシェ)のビルが建っていたから、駅舎がホームへの地下通路にあるのだ。そのテナントで今はこの世に亡き祖母が働いていたのだった。

思い出の・・・

 この辺りにその店はあったはず。遊びに行っては上の階のおもちゃ売り場で祖母にミニカーを買ってもらった思い出がある。

TOICAでいこかな、まーなかに。

 ・・・などという思い出に浸りつつ、各務原を後にする。便利になったものだ。自販機の精算まで全部TOICAですいすい。電車が来た。

岐阜の街

 降り立った岐阜の街も久しぶりだ。

エスカレーター

 道中で数回乗ったエスカレーターはちょっとした難題だった。乗るタイミングをはかるのが以前よりもぎこちない気がするし、乗っている最中もからだがやや不安定だ。手すりにつかまればよかったのだが、時節柄あまりそれはしたくない。身体の安定感は体幹の筋肉で得られる。まだまだ体幹の筋肉は回復途上のようだ。今の段階ではただ階段を上り下りするよりも危ないかもしれないなと思った。何もアクシデントはなかったが、年配の方がエスカレーターを嫌う理由が分かった気がした。

路面電車

 岐阜駅前に路面電車が飾ってあったのは(ここを何度も通っているはずなのに)知らなかった。上の歩道を何気なく通っていると見落とす。というか、この回廊のようなものができてから、岐阜駅前の地上を歩いていない気がする。

 路面電車が今ごろあれば、車で街中を走る分には不便だったろうが、岐阜城・鵜飼屋ほか観光地と駅とつなぐアクセスになっただけでなく、今日的にはよい観光資源にもなったんだろうなあ。

モニタリング調査

というわけで帰路へ。すぐ移動せず乗り損ねたのか、ローカル線だからはじめからこういうダイヤなのか、乗り換えでずいぶん待たされたので駅の内外を散歩。北口に出てみた。南北連絡通路では(よく見えない角度になってしまったが)幟を複数立ててcovid-19の「モニタリング調査」の依頼(写真左)をやっていた。

 あれはわが塾のほうに行くJR線だなと暇だったので撮影する。「撮り鉄」ではない。

回送電車

 いつも折り返し運転だから、乗って座って待っていようと思ったのに、これは珍しく到着後回送になるんだという。目の前で次の電車を待つ人々を置き去りにしていった。さよなら。

 定刻の数分前になり、やっと来た。ローカル線にしては結構な人数がホームで待っていた。車庫から来たようだ。珍しく3両編成。真ん中の車両に乗る。

 地元最寄り駅に着く。もう夕方5時になろうとしていた。

9500歩

 歩いて帰宅。合計9500歩手前。あまり歩かず8000歩ぐらいに抑制したかったので、結果としては各務原で歩きすぎたか。今日も脚にやや疲れが残っているので、7000~8000歩ぐらいにしよう。 

 今日もほぼ散歩ブログだな。しかし田舎の町でなく街を歩くことで新しい課題も見つかった。これでも真面目な「脳幹出血患者の社会復帰への軌跡をたどる記事」なのである。