脳幹出血からの帰還29  自宅療養生活(14)

 今日も散歩に出る。一人で歩いて出る。午前中はいつも車で行っているスポーツ公園まで(の予定はなかったが歩いているうちに結果的にそうなった)。地元中学だろうか、現地では野球の試合をやっていた。。考えてみれば退院からやがて1か月が経とうとしている。早かった1か月だったかな…「何もしていない」1か月だったが、そろそろ動き出さなければと感じる。写真は散歩途中で見つけた鳥。あまりに悠然と道路にたたずんでおられたので。

 前も書いたが、こんなに何もしていないのは二十数年ぶりだ。入院期間も入れると昨年末から3か月も何もしていない。前の「何もしていない」期間でも2か月ない期間だった。3月下旬に退社して、GWの頃に開業する方針を立て、GW開けには動き出して、5月末には今の場所を手に入れることになった(どこかの場所を借りて開業するつもりで不動産屋さんを回ったが、あの頃テナントは世の中に今ほどあふれていなかった。当時は今ほど地価も下がっていないおらず大変な買い物だったが、結果的にそれがよかったと思っている)。今から思うと素早かったな。そろそろ動き出さないと。

 あの頃との違いは身体が問題だということ…。あの頃はそんなことは考えなくてよかった(あの頃の調子でこの歳まで来てなお考えてなかったから結果こうなったとも言える)。健康というのは大事なことでお金に換えられない資産だと実感を込めて思う。それもそれを損なってからでは遅いのだが。

 入院中、「どこか痛いところはありますか」と何度も病院スタッフに聞かれたが、意識がはっきりあるのが発症からいい加減経ってからのせいか、今回の一連のことで痛いと思ったところ、しびれて困ると思った箇所、苦しくてつらいと思った瞬間はない。だから自分では病人という自覚が薄いのかもしれないが、本当にない。ただ倒れて左の手足が動かなくなった、そして寝たきりになった、声が出しにくくなった、それがあっただけだ。脳卒中でも違う部位だと(たとえばくも膜下出血)頭痛がしたりするそうだが、私の場合、そういうことがない分、幸せだったのかどうか…。

 思い起こせば1月半ばにはまだ歩けなかった。平行棒につかまって、立っているのが精一杯だった。そういう支えの中でも歩こうものなら左脚は震えたし、左足は向いている方向がおかしくてそのたびに注意された。装具をつけて向きを修正しながら歩いた記憶。そんな自分を昨日は思い出していた。あの自分が杖も何も持たず公道を歩いていることが自分でも奇跡にしか思えない。あの頃でも車椅子生活を半ば覚悟していた(歩行訓練に意味があるのかとさえ思った瞬間もある)。両手でパソコンに文字を打っている自分が想像できなかった(パソコンに字を打つ練習は回復期に移ってしばらくしてからリハビリでやってくれた。片手で1文字ずつ打っていたら今ごろこんなブログも書いていられない)。タブレットを左手に持つと力が無かったので手が震えたから机において使うしかなかった。そう考えると進歩しているのかな。自分ではこの状態にもどかしさしかないが。