9000歩突破はしたが
昨日はいつもの公園での約5000歩以外に駅や郵便局まで約4000歩を歩いて合計9000歩を超えた。これくらい歩いても健常な頃は平気だったが、今はへろへろになる。まだまだ体力はないなと思った。また、昨日は某社の2事業所を相次いで突然訪問した(アポをとったらかえって迷惑だろうと思って(邪魔にならないようすぐ帰るつもりだった))が、約四半世紀前とはずいぶん変わった様子に驚いた。構造から違う。後ずさりで帰ろうと思ったら段差でちょっとだけよろけてしまった。入院中も指摘されていたが、脚ではなく「体幹」が弱いせいだろう。なかなか体幹が鍛えられない。長く歩いたときの身体の疲れも脚からではなく身体全体から来る感じだから体感が弱いんだろうなと(自分判断ながら)思う。
体幹
そういえば退院前には理学療法士さんに同様のことを指摘されていたっけ。もう歩くこと自体はできるというので脚のリハビリの時間の大半は体幹トレーニングタイムだった。あの頃と比べて体幹が鍛えられているとは・・・まだいえないなあ。家族は退院してから半年・1年の戦いだと思っているようだが、退院時のスケジュールがそうであったように自分ではもっと早い社会復帰を目指している(が、どうなるかな)。半年後にはもう身体を動かしてバリバリ働いているイメージだ(が、そうなるかは分からない)。まあ以前とは違う働き方になるのだろうす(そうでないと周りに心配をかける)が、とりあえずそういう自分をイメージしながら自宅でトレーニングしたい。

入院中のことを雑談
昨日も食卓で話題になったが、私が早期の「復帰」を夢見て入院中、家族は後処理に大変だった(らしい)。ローテクな老親だから銀行のATMに向かって(後ろに別の客が並んでいないか気にしながら)塾生のご家庭一軒一軒にそれこそ1件1件返金の振り込みをした(らしい)。妹は実家に来るまで「数日文系教科の授業を代打でやってやり過ごすか」と軽く考えていたらしく、私がこの世とあの世の境目を彷徨っているとは思わなかったそうだが、私の病状を知ってからはテキパキと動いたようだ。私のほうはと言えば、そんな周囲の苦労は知る由もなく、朦朧とする中で指折り日付を数え「これで冬期講座が半分終わった」「これで冬期講座が終わってしまった」「学年末テスト対策はできないな」「直前対策講座には間に合うかな」などと考えていたのだった(だから日付のことには敏感だった。仕事の穴が何日できたかという目線だった)。病室では看護師さんやリハビリ担当に毎日、日付を聞かれ「(寝てばかりいる割に)日付を正確に答えられた」と感心されたようだが(実際には時々間違えている。だって窓もないしいつも電灯がついているし、自分は昼夜構わず寝ていた(ようだ)し・・・)、当時の私は左半身を引きずってでも復帰せねばという思いだけは満ちていた(実際にはそんなことができる身体でも頭でもなかったのは前に書いたとおり)。周りに支えながらなんとか長テーブル様のものに就いて、オンラインで語って授業をする、そんな姿が夢にまで出てきたこともある(当然実現はしていない)。