脳幹出血からの帰還20  自宅療養生活(7)

長い発表待ち

 それにしても長い発表待ちだなと岐阜県の(全員とは言わないが一部の)高校受験生は思っているかもしれない。部活動その他でやることがある(もう高校側の部活動に誘われて練習している子もいるだろう)子はいいが、そうでない子たちはこの2週間以上の宙ぶらりん期間をどう過ごしているだろうか。

 自分が大学生になろうかという遠い昔、国公立大学入試は前後期日程とAB日程が混じっている過渡期で、自分の学部はA日程をとっていたため発表までが遅く、2/25が入試日にもかかわらず(前期日程と同じだ)3/20過ぎに発表(つまり後期日程と同じだ)という今から思うととてつもなく長い期間待たされた。1か月も待ったのだった。まあ自分にとっては本命でもなかったが(と言って結果的にそこに入学・卒業するのだが)、その結果次第で次の動きが決まる日でもあったから、待たされる日々は嫌だった。

 毎日が暇で、それでいて落ち着かなく、妹の持っていた少女漫画を全巻読み通したりもした(それまで少女漫画どころか漫画をほとんど読んだことがなかったから新鮮な体験だった)。今から思うとこんなに期間があるなら自動車学校にでも通えたかなと思う(当時は自動車を運転することに興味・関心が無かった)。実際に免許を取るのは大学2年の冬。バイトで移動があり田舎での車の必要性を痛感してからだ。

期限の定まらない「休み」

 毎年この時期は中学3年生と高校生たちが休みという奇妙な期間だが、今年は私自身も「休み」という実に奇妙な期間を過ごしている。「休み」をこんなに長くいただいているのはそれこそ前の会社を辞めて個人事業主になる約四半世紀前以来であるから過ごし方が思い出せない。その前の宙ぶらりん期間もどうやって過ごしていただろう。遠い昔のことで(病気の後遺症でとかじゃないよ)思い出せないなあ…。いつまでが「休み」と決まっていない点では落ち着かない期間でもある。「所属がない」のは働いている間も一緒だったのだが(自営業だから)。 

ローカル線の駅

 車の運転ができるのは順調に手続きが進んでも来月以降だろうから(先日の記事参照)、それまではこのローカル線のお世話になるときがあるだろうなと思いながら、近所の駅まで散歩した。健常な頃は酒を飲むときだけお世話になったこの鉄道。これからもそういうときしか乗らないだろう、高齢者になってもまだ廃線になっていなければ日常的にお世話になる日も来るかなと思っていたが、まさか自分がこうなるとは思いもよらなかった。公共交通機関は大事だ(今さら…)。

 退院してすぐは階段の上り下りは不安があった(手すりのない階段は上下できないかもなあという感じだった)が、今なら手すりもいらない気がする。家の階段も手すりを使っていない。念のため触れるようには構えているが。まあ近くの駅には階段はないんだけど、階段があるような街に出かけるとしてという話だ…と書いたが、今どき階段を上らせるような場所は(敢えてそれを選択しなければ)それほど街には無かったかもしれない。それくらい、エレベーターやエスカレーターが充実している。バリアフリー・ユニバーサルデザインの世界だ。この前歩いた堤防の土手には手すりも何もない階段があって、それを避けて歩いたが・・・ああいうのは屋外にしか無いかもしれない。