あるようでない時間
前の投稿で「時間だけはある」と書いたが、それが意外に時間が無いから不思議だ。夜は以前なら仕事をしていたような時間に早く寝るし、昼間は雑事をしているとあっという間に過ぎる。入院中に「患者リズム」で暮らしていたせいかもなあと我が身を振り返る。入院中はそれはそれは時間がたっぷりあった。次の予定までの時間感覚が「分刻み」でなく少なくとも「10分刻み」「30分刻み」だった。他人のことながら正午に始まる昼食のために11時くらいからホールに座っている患者もいた(私はぎりぎりに出かけた。移動に時間がかかる人もいるので私が「正しい」とかではない)。患者は暇なのだ。暇と言えば入院初期(といってもまともな意識が蘇って以降)は本当にやることがなくて、ベッドに寝たきりになりながら天井の模様を数えていた時期もあった。そうこうするうちに時の経過の感じ方が変わっていったかもしれない。昼間も寝ているせいで、夜中に目が覚めることもたびたびだったが、目が覚めた状態で過ごしていても3時から4時になるのも、4時から5時になるのも、早かった。昔には無い感覚だった。
数独
タブレットを差し入れてもらってからは適当なページを読んでいた。ギガというか契約容量の凄く少ない契約だったので(当たり前だ。外でばしばし使うなんてこうなる前は想定外だった)、すぐに使い果たしてしまい焦った。ある日通信速度がやたら遅くなっていて気づいたのだった。あのときはあわてて契約を変更した(今はは戻した。いらないギガだから)。リハビリ(言語療法)で「数独」を知ってからはタブレットでそれに没頭した。言語聴覚士さんに言えばさまざまなプリントはいくらでもくれたようだが、私はこればかりだったのでプリントをお願いすることもなかった。
テーマを決めた歩行練習
歩く練習にも時間を割いていた。1日5000歩が目安。前も書いたが病棟内をぐるぐると飽きもせず歩いた。今度は早足で~とか次は大股で~とか、自分でテーマを決めて歩いたりもした。ただのんべんだらりと歩くだけでは(同じ場所ばかりなのもあって)つまらないから飽きてしまう。あるとき「早足」をテーマにして歩いていると、看護師が驚いていた。いろんな意味で入院患者の歩きでなかったのだろう。握力を鍛えたいというのでハンドグリップ(作業療法士さんに貸してもらった。自主練習用として)を握ったまま鬼の形相で歩いているときもあった。端から見たらちょっと怖い人だったかもしれない。
テレビは全く見なかった。
1日3時間のリハビリとこれらのことで時間は過ぎていく。テレビは元々見ない方だったので、入院中もカードを買って見ると言うことはなかった。
恵まれた環境ー入院生活
今思うと恵まれた環境だった。リハビリの時間になると理学療法士さんや作業療法士さんたちが病室のベッドの横まで迎えに来てくれる。時間になればホールに行くと食事が用意されている。量は少なめだったがそれにも慣れた。お酒も当然出なかったが今でも飲んでいないし、そんなに自分がそんなに拘泥していないのが幸いだった。拘泥する質だったら、「断酒」のために一苦労重なるところだった。
黙々とした入院生活
暇なのか、患者どうし、ロビーとか廊下で話し込んでいる人もいたが、自分は挨拶程度でほとんどそういう輪には加わらなかった。このご時世か患者にはお年寄りが多かったが、ああいう人たちは退院後も「つながっている」のだろうか。そういうわけで入院中はほとんど黙って過ごした。もちろん、医者や理学療法士さんや作業療法士さん、看護師さんとは話すことはあったし、完全に黙っていたわけではないが。

・・・とまあ入院時の思い出話を書いている自分は、やはり暇人なのかもしれないと思ったのだった。