脳幹出血からの帰還11  退院とその後(4)

世間の現実

 昨日今日と公立高校入試(ほとんどの学校は昨日で終わったか)。その前には高校の卒業式やら国公立大学の前期入試があったはずで、それぞれ関係する卒塾生がいるはず。数日後には中学校の卒業式も。彼らの健闘を祈りつつ、顔を思い浮かべては涙してしまいました。入院してからどうも涙もろくなってしまっています。困ったものです。

日課

 退院後、脚の運動は歩くことを中心に入院時同様、継続しているが、手の運動が不足してはいけないとハンドグリップを買ってきてもらいました。左にはまだ元の握力はないので一番弱く設定しても硬め。これが簡単に握れる日を夢見て今日も握ります。

いのちを拾った要因

 退院後、言い方は変ですが私が「なぜいのちを拾ったのか」談義になることがあります。幸いにして、倒れた直後に家族が気づいて救急車を呼んでくれました。夜中に倒れ、誰も気づかぬまま朝を迎えていれば分からなかったかもしれません。救急車が来るまで家族はやきもきしたそうですが、それでも迅速に行動してくれ、都会のようにたらい回されることもなく(時期が時期ですし)、まっすぐ病院に運んでくれました。病院に脳神経外科のベテラン先生がいて、迅速に措置してくださいました。こういった偶然やみなさまのご尽力でこうして私は生きているのでしょう。

棺桶に足を突っ込んだ男

 そういえば先生も「あとちょっと遅かったら分からなかった」と語っていました。脳幹という脳のど真ん中からの出血。いのちをつかさどる大事な部分。手術もできない部分。泣きながら尋ねる同伴した父親にいのちは「五分五分」と言った先生。家族に配慮してそう言っただけで、実際には「死」の確率のほうが高い状態だったでしょう。そして最悪の事態は免れてもその後に重い障害を背負っていることになったかもしれません。本人にはまだそんな意識もない(というか意識自体が混濁していた)頃の話です。