脳幹出血からの帰還7 リハビリの日々・絶望と希望と(4)

「快適」な病院生活・独歩

 1月末頃、回復期リハビリ病棟への移転が決まる。ここからの病室生活は言い方は変だが「快適」だった。病室は窓際のため、近くには運動施設や学校、遠くには子どもの頃から見てきた山々という具合にいい眺めを見て暮らした。移転した当初こそ、まだ介助が必要だというので週2回水土と決められていた風呂も、すぐに「フリー」つまりご自由にどうぞとなり、そうなってからはほぼ毎日入った。やがて歩行器もいらなくなり、独歩で病棟内を移動できるようになった。

数独にはまる病室での暮らし

 病室内での生活、意識がはっきりしてしばらくは暇をもてあましていたが、家族にタブレットを差し入れてもらい、いろんな記事を読んだり、言語療法のリハビリ(頭を鍛える)で数独を知ってからは(それまで存在は知っていたがルールなどは知らなかった)それで暇をつぶすことができた。それ以来のことなので数独は今でも初心者だが。

歩き回る患者

 また、自主練として病棟内を積極的に歩いた。一日5000歩をめどに病棟内をぐるぐる何周も何周も歩いた。今から思うとうっとおしい患者だったかもしれない。病棟内の廊下にいつもいるんだから。日によっては病棟内を20周ぐらいしたときもあった。ぜんぶ記録につけている(「これから自分でも歩いてね」と記録用紙を用意してくれた理学療法士さんがいた)

半信半疑

 家族にはメールで自分の回復状況を伝えていたが、半信半疑だったようだ。自分をよく見せよう、退院したい、安心させようというのでそういうメールを送ってくるんだろうと。確かに1月の中旬頃は絶望が勝っていたので、実態も伴わないままそういうメール(早く退院したい)を送ったこともあったが、先述したように回復期リハビリ病棟の生活はまあまあ「快適」だったので、そのつもりなどまったくなかった。むしろ歩き回る自分を見て退院のスケジュールを進めてくれたのは病院スタッフのほうだった。すすめられるままに、主治医も許可して2月20日の退院が決まった。