脳幹出血からの帰還6 リハビリの日々・絶望と希望と(3)

回復のペース/車いすから歩行器へ

 1月下旬以降の回復のペースは(周りの想定以上に)速いものだった。1月の終わり頃には車いす移動から歩行器に変わる。はじめはこわごわ歩行器に頼って歩いていたが、数日で歩行器が邪魔と言うくらいの歩き方になった。左の握力は右の半分ながら、万歳すると左の腕がまともには上げられない中、しかし以前よりも諸作業がまともにできるようになった。この頃、トイレも自分で行ってよいと言われる。塾の細かい事情など知らない本人は、このころ現場復帰への予定も立てて未来に希望を持った。病室も同じ病棟のナースステーションから遠い部屋に移り、周りの病人も重度でなくなり退院する人も見かけるなど、落ち着いた静かな環境になった。

回復期リハビリ病棟?

 この頃、スタッフの間では私の回復ぶりを見て回復期病棟への移動も検討されていたようだった。ただ、回復期病棟が当時混んでいるというので、病棟移転はすぐにはかなわなかった(回復期病棟に行くと日曜日もリハビリがあるなどよいことが多かった)

主治医との会話・自分の現実を知る

 そんなある日、リハビリを終えて歩行器でぷらぷらと廊下を歩いていると、主治医の先生に偶然出会った。回診や異常時(転んだときや熱を出してしまったときなど)に何度かお会いした記憶があって、この方が主治医というのは知っていたが、それは自分自身がしっかりし出した1月以降のことで、救急車で運ばれた身、それまでは主治医の先生が誰かも把握していなかった。偶然会ったついでに雑談を少ししたら先生が会議室用の部屋に案内し、PCに向かって自分の脳の写真を見せて説明してくれた。

ここはこの世か それともあの世か

見せてもらうとがっつり出血している。これでよく生きているものだ。先生も「強運の持ち主だ」と私に面と向かって話した。自分でもそう思った。そう思うとここがこの世なのかあの世なのか分からなくなる。自分は生きているのか。それとももうあの世に召喚されているのか。