脳幹出血からの帰還4 リハビリの日々・絶望と希望と(1)

 初期の頃(私にとっての初期とははっきりとした記憶のある1月中旬以降)は絶望のほうが大きいものだった。寝たきり、何をするにもナースコールが必要、おむつをはき、下の処理もすべてお願いする立場だった。

絶望の中の希望・リハビリ

 棚にはいろいろと差し入れられたものがあったようだが、自分だけではそれにも手が届かない。食事も自分でとれないので鼻から胃に管を通され、それで栄養を得る日々だった。病室には同じような境遇のお年寄りが3名。家族との面会もできず(コロナ禍のため、家族といえども面会は厳しく制限されていた。病院からの病状説明や貴重品の持ち込み以外で家族に会うことはなかった)、孤独に生活していました。毎日行われていたリハビリだけがそういう生活の中では救いの時間でした。次第に平行棒の中、不十分でも歩けるようになり、手の動きも(不十分ながら)戻っていく自分がうれしく感じられました。

寝たきりから車いすへ

 この頃、私は「前(健康だった頃)と比べて」という発想をやめた。どん底の全然動かなかった自分と比較してどうだという発想に変えたのだった。そういう発想をすると気分が楽になった。塾の後処理はしっかりやったと面会時に家族に聞かされ、仕事の心配はせずリハビリのことだけ考えた。やがて車いすで自分で移動することができるようになり、寝たきり生活から解放される。そうなると、今まで気にしてこなかったところに目が行くようになったのだった。

家族からの手紙に涙

 まず棚に行き、差し入れの品々、そこに入っていた家族の手紙を読んで涙した。気がつけば顔はひげで覆われている。つい先日まで鼻に管を通されていた男…。もともとあまり自慢のできる顔ではないが、手入れされずにここまで来てさらにひどくなっている。もみあげは短い方だったが、これを機に面倒なので長くすることにした。差し入れられていた電動ひげそりを自分で手にとって、鏡の前で自分でひげを剃り始める。歯磨きも自分で洗面所に行き、するように。それまでは食後にナースコールをして(食事自体が寝床を起こしてテーブルをセットしてもらって食べていた)ゆすぐ水をコップに用意してもらい、寝床でこなしていたのだった。車いすで動いていると歩行器で動く人やら杖で動く病人と病室や廊下ですれ違う。自分もいつかああなれるのだろうかと想像する日々、この頃はまだ車いすでの生活を覚悟していた。