恵まれた人

脳幹出血の人の体験が書かれたネット記事を読む機会がある。脳幹出血で検索しても「脳出血」「脳内出血」という記事が出てくることも多いが、脳幹出血も脳出血・脳内出血なので当たらずとも遠からずという感じだ。だが、有名人に犠牲者が目立つ割には「脳幹出血」の体験記事は少ない。

今日の午後の散歩は隣の隣の市(ということになるのだろうか)にある県の公園に行ってきた。このご時世、人混みは避けたいと思い、平日の午後、人は少ないだろうと思ったが、案の定だった。

そういう中で「脳幹出血」そのものの体験記事にヒットする。脳幹というのは大脳のような大きな部位では無いはずだが、出血の箇所のわずかな違いで症状が違うのか、身体の麻痺だけでなく、私が経験しなかったような視界のゆがみや身体のしびれなどで苦労しておられる人もいる。そういう事例を知って今思うと、私は倒れた当初から「恵まれていた」のだろうなと思う。倒れたときから左半身が全く動かなかったが、当初から痛い熱いなどの皮膚の感覚はあった。おそらく感覚神経の中枢には何の問題も無かったのだろう。目や耳などに異常を来すことも無かった。さらにのどはしばらくおかしく、退院近くまでかすれ声になっていたが(その結果、管を外され食べ物が食べられるようになっても「とろみ」のついた食べ物や飲み物にしばらくお世話になったりもした。家族は半永久的に「とろみ」が必要になるだろうと「とろみ」のついた食品や「とろみ」のつけかたを調べていたようだ。今はもちろんその必要は全くない話せなくなることも無かった。

これだけ見るとどこの山奥?という感じだが、公園の中だ。

倒れた直後は生死も五分五分、医者もどこまで出血が広がるかによっては、まったく予断を許さないという見解だったようだし、前も書いたが実際に出血量はかなり多かったようだが、結果的に致命的な部分を外したばかりか、重大な部分はほとんど出血の被害を免れたからだろう、そして運動に関する部分はリハビリで改善することができたために今日の私がいる。運動に関する部分だって重大だが、現代のリハビリプログラムはたいしたものだ。全然動かなかった左半身、そのせいで当初はベッドから起き上がることもできなかった私が、今では車を操って毎日散歩に出かけているし、普通に授業もしているなどとは自分でも想像出来なかった。この前、数か月ぶりにクリーニング屋に出かけたが、顔見知りの店員は私が脳卒中で入院していたとは分からなかっただろう(から何も言わなかった)。ただの「季節の変わり目にしばらくぶりに来た客」だったに違いない。今年もまた秋にはあちらこちらの高校の説明会でいろんな人にも会うことになるのだろうが、私が生死の境から帰ってきたとはよもや思うまい。塾生だった子たちのご家庭でもそうだろう。そんな重症を負った人間がわずか数か月で現場に戻ってくるとは想像もできなかっただろう。いろんな「恵み」が重なって、今、私はここにいるのだ。あの世ではない、この世に。そんなことを思った。

以前訪れたときはこの辺りに八重桜が咲いていたと思うが、季節は移り変わりさすがに新緑になっていた。